Philosophical zombie effect

最近の炎上騒ぎをずっと観察していたのだが、以前から僕が世界に対して感じていた疑問『突如、人の知性が下がる』現象かの様に見えることに仮説を持っていた。それは

人がある程度の知性を集約化させるには限界があり、それを越えて場を知的化させる場合保存則の様に働き、発散してしまう

である。ただの素人の哲学に過ぎないはずだった。

 だが、今回のラブライブ-フェミニスト炎上事件でその考えはほぼ確信に近いと思ってしまった。これは僕の脳内で『真理』とされているモノを書き殴ったものであり、科学的な根拠を持たないものであるとする

『保存則』と書いたが、場の集積度限界と言おうか、それとも排他制御と言おうか?悩むのだがとりあえず有る一定の知識の集積度を上げた結果、最終的にそのコストに見合わない知能低下がその場に起こる、という感じだ。光速度に近づけばその加速コストが跳ね上がり最終的に無限のエネルギーが必要になる相対性理論の哲学版に近い。というよりは知性の競争原則のようなもの、知的マウントの取り合い、その結果競争に負けて知性が下がる。此の場合論理の正確さと論理破綻などを問題としない、何故ならばそういう連中に見切りをつけて離れる事も知性の特性であるからだ。知性で勝利しても敗北しても離散してしまう

だから、僕は此の哲学をもっと推し進めて、これをクオリアの奪い合いとした、『哲学的ゾンビ効果2.0』とした。なお哲学的ゾンビとは

哲学的ゾンビ(てつがくてきゾンビ、英語: Philosophical zombie、略: p-zombie)とは、心の哲学で使われる言葉である。「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」と定義される。

であるが、2.0と違うのは意識(クオリア)の有る無し(0or1)などではなく、クオリアは「0~1」の間を取るのだ。つまりはクオリアには強度が存在する。そしてそれ故に強いクオリアは弱いクオリアを取り込んでしまい、場の雰囲気というか、場にある一定の効果を与える。つまり知性が集積化して発展したりせずに、新規的な展開を阻害するという事において皆は共犯者となってしまう。そして一人ひとりに聞き取りを行っても色々な意見が存在するが場では強固な方向性の効果がある。故に哲学的ゾンビは効果(effect)なのである。

この世界に怨念を振りまく(理想:現状は愚痴ってるだけ)悪霊。浄化されずこの世に留まっている(意訳:死んでない)