師匠(みたいな人)との別離

 僕には師匠みたいな人が居た。と言っても正式な言質を取って弟子入りした訳でもないし、数ある一人にしか過ぎず、向こうは俺の名前すら覚えてないだろうが。それでも分からないことを聞いてもきちんと答えてくれる親切な人であった。

 色々なアドバイスを受けたがそれなりに今の僕を形作っているものでは在るし、それなりに敬意を持っていた。それでも別れは来るもので、来たら来たで割りかし納得できた。

 その人を具体的に言えば詐欺師であろう。とはいえ、詐欺師でも過去の実績で10年以上食ってるからそれは大したものだ、過小評価すべきではない。

 では何が師匠との決裂に成ったのか?Twitterのアカウント凍結(手続きしても未だに凍結されたままである)の切っ掛けでサブアカウントを作った時にはもう彼には僕が見えないのだ、見ていてもない、反応しているだけだと、分かってしまったのだ

 何の他愛もない、すれ違いと言うか、僕に知人が少ないのでリソースが多く振ってしまったわけで、相手は恐らく公平にリソースを配分したのであろう、なので僕は騒ぎ喚くモブだったのだろう。もしかしたら元々のフォローも社交儀礼的にしてくれただけだったのだろう。

 だが僕の人生おそらく最後の先生みたいな教えを請う人だった、また僕に教える人が出るには僕は齢を取り過ぎている。たとえ心が永遠に少年でも僕はムサい成人したおっさんなのだ。こういう形で卒業とは悲しくはないけど寂しい。

 同業を就きたくて勉強もしたが、結局は仕事を競い合ったり協力したり、相談したりすることなく、そしてその人には周りに人が多すぎて、埋もれてしまうような存在でしか無いのだと。認めるには自己研鑽の量と見合って無くて辛すぎたのだ

 その師匠みたいな人は今その業界の端っこ辺りに名前がある。だが10年前はそうではなかった、だから10年後兄弟子らも一人前になる人も出るだろうと思っていた。あわよくばその末席に位置できれば自分の人生捨てたものではないと思っていたのだ……だけどそうは成らなかったのだ

 

この世界に怨念を振りまく(理想:現状は愚痴ってるだけ)悪霊。浄化されずこの世に留まっている(意訳:死んでない)