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今日は何について書こうか?毎日ブログを書くと決めて宣言してから、微妙に日常に緊張感が生まれている気がする。1日のスケジュールの中でどの時間に書くか、ネタになることはないかと意識をして日常を味わっているような気がする。まだ始まって2日目だがこれは面白い兆候だ。

せっかくブログを書くので今日は自己紹介的なことを書こうと思う。私がどんな人間かわかった方が読む方も楽しんでもらいやすいと思うし。

私は1988年12月北海道の札幌市で生まれた。二つ違いの兄と弟、公務員の父と専業主婦の母という5人家族の真ん中っ子として育った。父は無口で正義感が強く真面目な性格で、泣いたり、笑ったりしているところをほとんど見たことがない。家の中でうるさくしているとよく怒られた。自分にとって父は尊敬の対象であり恐怖の対象でもあった。母は父とは対照的に朗らかで、いつも笑顔で感情豊かな人だった。母は感情表現が苦手な父の分も一緒に笑って喋っているようだった。母が私の家族の太陽だった。

小学校3年生の時、不登校になった。夏休み明けの朝、準備はしたのだがどうしても学校に行きたくない。親には「明日から行く」と言って学校を休んだがそれは次の日もまた次の日も続いた。だんだん親も本気で心配し始め嫌がる自分を無理やり車に乗せて学校へ連れて行ったが車から下ろされまいとシートにしがみつく自分をみてその日は諦める。そんな日々が1ヶ月近く続いた。親はなんで学校に行きたくないのか何度も聞いてきたがうまく説明できなかった。自分でもなんで行きたくないのかわからないけどとにかく学校に行きたくない。32歳の今なら行きたくなかった理由をいくらでもあげることができるが当時はそれらを言語化することもできなかった。「行きたくないから行きたくない」それだけだった。今思えば学校は自分にとって怖いところだったのだと思う。やりたくないことをやらされ、他の生徒と比較され競わされる環境や、そんな環境下でストレスを抱えた生徒たちのギスギスした雰囲気。余裕のない先生のイライラした態度。そうだ、学校にいる人たちの「態度」「感情」が怖かったのだ。そう言う人と一緒にいるとその感情が自分に向けられているようで怖かったのだ。

学校に行かなくなって1ヶ月ほど経つと親も諦めたのか無理して学校に行かなくてもいいと言い始めた。ホッとしたところもあったが同時に自分という人間のことも諦められてしまったようで悲しかった。そして昼間っから学校に行かずテレビなどを見て無為に過ごしている自分を見て、内心は学校に行ってほしいと思っているということもわかっていた。私も頭では早く学校に行かなければ、休みが長引けばどんどん学校に行きづらくなるとわかっていたが、身体が、感情が学校に行くことを拒み続けた。学校に行かず親を苦しめているという罪悪感と、他のみんなが当たり前にできている学校に行くということがでlきない劣等感で常にあたまの中がいっぱいだった。

長くなってきた&内容が暗くなってきたので今日はここまでにします!自分の不登校時代の話は長くなりそうなので特に書くことがない時にでも続きを書いていこうと思う。

今日の沖縄は快晴でご褒美みたいな1日だった。学校に行かず絶望して苦しんでいたあの頃の自分に、こんな日が来るから大丈夫だよと言ってあげたい。

大丈夫だ。

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