「餃子一個、お持ちしましたー!!」

人はパニックになっているとき、冷静であれば絶対にしないような見当違いな行動をしてしまうものである。当人は大真面目なのだが、必死になって見当違いのことをしている様は外から見ると滑稽である。そしてその当人へのツッコミが的確であればあるほど周りの人間に大きな笑いをもたらす。だがもし、ここぞという時にツッコミがなかった場合その場の空気は凍り付き、居合わせた人々をなぜか「自分が恥をかいた」かのような何とも言えない感情にさせる。


これは石垣島のとある居酒屋で働いていた私のよく知るAという男の話である。

その居酒屋は島外からの観光客をターゲットにした店で、毎晩19時と21時に島の歌い手による三線ライブと沖縄伝統の太鼓踊り『エイサー』のショーが行われ、ライブの最後には沖縄の阿波踊りのような踊り『カチャーシー』を全員で踊って締める。というバカンスに来た観光客が羽目を外す為の、島民は絶対に行かないボッタクリ居酒屋であった。

そしてAは飲食店でのアルバイトは初めての、真面目なのだがお世辞にも要領が良いとは言えない男であった。

Aが働きはじめて3日目のこと。店内はほぼ満席、ライブも盛り上がっておりスタッフたちの忙しさはピークに達していた。Aのキャパシティも馴れない客の対応、料理の配膳、ライブの騒音で限界に達していた。そして事件は起きた。

「おいAー!」キッチンのスタッフがAを呼び止める。

キッチン「この餃子、一個だけ持っていって!」

見るとこの店の看板メニュー『アグー豚と石垣牛の餃子(冷凍食品)』が焼き立てで置かれている。一皿六個入りである。

A「えっ!?一個ですか?」

キッチン「これからまだまだ焼くけど、取り敢えず一個だけ持っていって!」

A「え!?でも、本当に一個ですか!?」

キッチン「そうだって!!いいから早く持ってけ!!」

A「わ、わかりました!本当に一個だけ持っていきますよ!!?」

キッチン「早よ行け!!」

Aは真面目な男である。そして今はこれ以上考えている暇は無い。彼はキッチンスタッフの言葉を忠実に守り、一皿六個入りの餃子のうち一つを小皿にちょこんと取分け、注文した団体客のところへ持っていった。ちなみにキッチンのスタッフが言いたかったのはもちろん「複数枚注文受けたけど先に一皿できたから持っていって」ということである。

A「お待たせしましたー!!」

客「あ、はーい。って、え?!?」(二度見)

A「餃子一個お持ちしました!残りの餃子も今焼いておりますのでもう少々お待ちください!!」

客「??????」

最高の笑顔で餃子を渡したAは客の反応を見ることなくすぐに他のテーブルへと消えていった。何しろ忙しいのである、立ち止まっている暇はない。次の客が自分を待っている。

餃子を文字通り一個だけ渡された客がどんな心境だったか今は知る由もない。十数名の団体客に渡された一個の餃子…。しかし酒を飲んで歌って踊って全てをうやむやにすることが出来るのがこの店である。クレームは来なかった。そしてその店の店長は「衝撃的すぎて怒る気力もなくした」と語っている。出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれないのである。

この事件によりAの名は石垣島の他のチェーン店全スタッフに知れ渡り、仕事に疲れたスタッフたちにささやかな笑いを届けた。

人はパニックになっているとき、信じられないようなことをしてしまうものである。なのでそんな人を見かけたら馬鹿だなどと思うのではなく「あの人はいっぱいいっぱいなのだ」と笑ってみることで少し他人に寛容になれるかもしれない。


ちなみにAとは私である。

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