大人になったね。



私は世で言う大人という定義がずっと分からなかった。
今もいまいち理解できてないが、これかな?と思った出来事がある。



ーー

久しぶりにInstagramで、知り合いかも?の一覧に定時制時代の知り合いがユーザーで出てきた。
気になって、その子の投稿をみた時に、驚いた。

その子には赤ちゃんがいて、お母さんとして奮闘している投稿が沢山そこにあったからだ。

何て言うか、とても、感動した。

私は、正直、その子の事は苦手だったし
ずっと羨ましいと思ってたから喜べないと思っていたけれど

こんなに感動している自分がいて驚いたし、ああ、歳を取ったんだな。私達。とも思う。

あのときに嫌いだった子も、今みたら、嫌いではなくなるんだな。とか
ああ、定時制時代のみんな、きれいになってるなあ。お母さんなんだなあ。それぞれ頑張ってるんだなあ。とか
そんなことを思いながら、Instagramを遡っていた。

そういう、ああ。と振り替えれる過去に変わってるんだな。と思うと、私は大人になったような感覚になる。


ーー

大人という言葉がそもそも曖昧で尚且つ答えがないからこそ、よくわからないと言う感情が涌き出るのかもしれない。

逆に、成長や歳を取ったな。とか、過去、未来と言う言葉に変えたら現実味が沸くなあと思いつつ、

私にとって大人になったね。を感覚で言い換えたら
自分の過去を承認できるようになったね。だなと確信できた。

そして、そこに向き合えている感覚が、大人になったね。と言うものなのかもしれない。なとも思うし
笑って話せてる状態になってるのは、もうそこにしがらみがないからだとも思う。

そこには、ただの思い出があるだけで、私はもう定時制時代にこだわりがない。
だからこそ、あのときの気持ちを話せるし、友達とも向き合える様になったのかな。と感じた。

ーー

これは、あの子達には絶対届かないと思うけれど
ここで、おめでとう。ありがとう。と残しておこうと思う。

定時制時代の友達とは、2人しか繋がってないから、投稿をみた知人へのお祝いは直接できないけれど
おめでとう、そして、お母さんになってる姿を見て私は感動したし、私は勇気を貰ったよ。
勇気と言うか、家族って素敵だなって、温かさをくれてありがとう。

いつか出会えたらまた話したいなあ。

ーー

そんなことを思ったInstagram。
時々は、過去を遡っても良いのかもしれないと感じた私の思い出。

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