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「美しい」の研究報告(3月)

見たり、触れたり、味わったり。日常の中で感じた「美しい」を掬い上げ、それについて研究した内容を綴る、日記に近い研究報告です。「美しい」ってなんだろう?そんな曖昧な感覚について深く考えてゆきます。

Taste

数mlのための特別な儀式

3月の週末、大阪・中之島にあるワインバー「su il soffione」へ行った。1階がワインショップ「il soffione」でその2階にあるバーだから「su(=on the)」。

モダンな内装と、温かな照明、夜が深まるにつれて店内が賑やかになっていく、とっても素敵なワインバーでいろんなワインに出会う夜だった。

私はワインが好きだ。

「赤?白?」と選んでどんなワインが来るだろう…と待つドキドキ感。
選んだワインのことを説明してもらいながら(教えてもらったところでよく分からないが笑)ボトルからグラスに注がれる様子。グラスを手に持ったときの広がる香り、味わい。お酒が弱くあまり多く飲めない私だが、ワインは選んでから注がれて口に運ばれるまで、そのたった数mlの液体のために特別な時間が流れていて、たとえ1杯でも多幸感で満たされる。

そして、私にとってその特別な時間はワインのための特別な儀式に見えて、その様子を目の前で観察するのがなんとも贅沢に感じる。ワインの味、というより特別な儀式を含めてワインが好きなのが正しい答えなのかもしれない。

そんなワインの魅力をもっと知りたくて、飲んだワインの記録を今月から少しずつ始めてみることにした。続けていくと、その儀式がもっと味わい深いものになるかもしれないな、とそんな期待を抱きながら。

☑訪れたワインバー(su il soffione)
https://www.instagram.com/su_ilsoffione/




Place

生と死を考える、静かで鮮やかな空間。

コンクリート壁で囲まれた無機質な空間にグレーのベッド。その上にはドライフラワーへと静かに姿を変えてゆく生きた花々が舞う。

東京・代官山にあるlurf museumにて3/21(火)まで展示されていたedenworksによる展示「Now/Then」を観に行ってきた。

エデンワークスは以前から気になっていたお花屋さん。「花を棄てずに未来に繋がる」を理念に掲げ、生花の販売だけでなく花のロスを最大限に無くすクリエイションを行なっている。そんな本質的で美しいサイクルを生み出している花屋さん。

人は生まれた時も、死ぬ時もベッドにいる。今回展示されていたのは、生の始まりと終わりを象徴するベッドと、生きた花からドライフラワーへ、花が生から死を迎える様子を重ねたインスタレーション作品。冷たく無機質な空間に相まって、花の命の彩りがより輝いてみえ、自然のパワーを感じる。

命あるもの、必ず死を迎える。花はもちろん、人間である私も。ゆっくりと死に向かう日々の中で、私はどうやって生を全うしたいだろう?とぼんやりと静かなその場所で考えを巡らせた。


☑eden works
https://www.instagram.com/edenworks_/

☑lurf museum
https://www.instagram.com/lurf_museum/




Time

8年ぶり、茶席での時間

先日、8年ぶりにお茶会に参加した。

私事だが中高6年間茶道部に所属していた。中学1年生の春、茶道部の見学に行った際、茶室の緊張感とそこで振る舞われる美しい作法に魅了され「なんか面白そう!」と入部したのがきっかけ。そこから6年間、週1回の活動し卒業時には裏千家初級も取っていた。それ以来、茶道に全く触れずにあっという間に8年の時が流れた。8年も経てば自分の趣味嗜好も変化し、ここ数年でより日本の美しい文化や作品に触れたいと感じ始めていたときにちょうど当時の先生からお茶会のお誘いが。私の考えを汲み取っていたのかというようなタイミングに驚き、二つ返事で参加をすることに。(タイミングとは素晴らしいことだ…)

久しぶりのお茶会はかなり緊張した。
お作法はこれで合っているのか?服装は無礼でないか?
どきどきしながら静かに参加していたが、次第に緊張感も薄れ見様見真似に手と口を動かしていると、自然とその時間を楽しむ自分がいた。
お茶の席に流れる緊張感、美しいお手前、掛け軸や花や茶器の説明を通して広がる空間の奥行き、参加されている方々が嬉しそうに美しいお着物を召されている様子。

「ああ、そうだ時間が当時からとても好きだったんだ。」
少しづつ8年前の感覚が取り戻されて、まるで過去の自分と交流しているような感覚。その感覚は瞑想に近く心地よい。


過去打ち込んでいたこと、とっても好きだったこと。
年齢を重ねてからそれらに触れ直すと、当時はうまく気づけなかった豊かな時間を与えてくれる。




Book

複数の自分を愛するための本

3月、「私とは何か――「個人」から「分人」へ」を読んだ。

SNSや口コミでおすすめと目にしたことがあるものの読んだことがなくて、Amazonの古本で購入し読了。(Amazonで古本を購入するのが結構好き)

「分人」について書かれた本。「個人」を1と考えた時、「分人」は分数。人はみな自分自身を分けられない「個人」と考えがちだが、そうではなくでいくつもの「分人」を所有して「個人」になっている。家族と過ごす自分と、友人といるときの自分、恋人といるときの自分。人によって違う自分で接しているのではないだろうか?それがその人との「分人」である。人間関係に合わせて自然と分人を作り、その分人との構成比によってアイデンティティが形成されていく。つまりは人間関係によって、「自分」というものが作られていく。なので、もし「この人といるときの自分って嫌だなあ…」と思う瞬間があれば、自分自身が性悪なのではなく、その人との分人がよくない形で発揮されているから。嫌いな分人の構成比を変えれば(小さくすれば)自然と自分自身も変わっていく。

コロナが落ち着き、より人と人とが近くで交わることができるようになるこの春。今だからこそ改めて、「私とは何か?」と自分に立ち帰るきっかけに読むといいかもしれない、そんな本でした。




Other

3年間でついた苦しい癖

3月13日からマスク着用が任意になった。

街中が色んな人の素顔で溢れた。人混みが増えた。お店に沢山貼られていた感染対策のポスターが外され、外観がすっきりしたお店も多い。春の訪れとともに、人と人とがより交わりやすくなった。みなさんはいかがお過ごしだろうか?

私は、というとどうしてもこの3年間で身に付いた緊張が拭えないでいる。人混みでは感染に怯えて息を止めてしまう癖がついてしまったり。感染を避けてなるべく家にいたから、外に出ると緊張で体調を崩してしまったり。マスクなしでの呼吸の仕方が下手になって、うまく呼吸できなかったり。

コロナ禍前の私はというと実に自由にいろんな場所に飛び回っていた。数週間出ずっぱりでも、人と1日中交流していても平気だったし。しばらくのホテル暮らしでも快適に過ごせていた。自由に交流する生き方がとても大好きで偶発的に起こる出会いに美しさを感じていた。だが、以前のような生き方がコロナ禍によって下手くそになってしまったように感じる。

この3年間はあっという間だったように感じるが、人間3年も同じことをしていたら癖がついてしまうし、その癖はなかなか取れない。徐々に徐々に苦しい癖を取り払い、早く自由に心地よく生きていきたいなあと思う今日この頃。





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