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ハウスミュージックと個人主義

 気に入っているトラックがYouTubeにアップロードされていなくて、ほかの音源を急遽さがしている間、
「やめろよ、彼は本当にニガーなんだ」
「おれはナチなんだよ。黒人ラッパーの音なんてここで流してほしくないんだ」
「なんでいつもナチ、ナチ言うんだ、やめてくれよ」
 とかなんとか、チャットログが流れている。
 DJが集まるサイトがあって、そこではジューク・ボックスのように各DJがYouTubeやサウンドクラウドから音源を紹介し合っている。国籍はもちろん多様であり、しばらくい続けているうちに、日本人唯一のresidentDJとなっていた。
 海外のマニアでも知らない日本のいいトラックメイカーを紹介したことがあったり、酒に飲まれた晩、イギリス人とコカインについてジョークを飛ばし合っていたのが功を奏したらしい。
 ふう、と曲を入れたあと、ログを見返し、こういう人々のあいだで、一体なにを感じていればいいというのか。
 感じていなければ、駄目なのか。
 つねに思うのはそんなことである。
 集団意識をもって、組織のなかに忠実に組み込まれていくことが日本人にとって、大人になるということである。これは西洋の価値観とはまるきり、異なるものだ――。
 いつもそれを思っていた。PCのディスプレイの前で、ネット上に無尽蔵に散逸した音源からdopeなトラックを探し出しながらでさえ。
 僕はそこそこ、彼らの耳にもdopeなトラックを、適切に探り当てるセンスをもっている。
 けれどもそんなことはどうだっていいことだ。
 個人主義というやつ、日本人でありながら外国人のような輪郭を有して、自前の感性と価値と、そして表現を持つ人間になるためには、どうすればいいのだったか……長らく考え続けてきたことだのに、答えはでないままだった。
「どんな酒を飲んでいるの?」といつも仲良くしてくれるフランス人が訊く。
「スコッチ。ボルドーと答えればよかった?」
「日本にいつか行ってみたいよ」
「ラーメンだけなら任せてくれ」

静かに本を読みたいとおもっており、家にネット環境はありません。が、このnoteについては今後も更新していく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします。