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松本人志、テレビと万博の闇ーー。

 文藝春秋4月号に『松本人志はなぜテレビを支配できたか』を寄稿させて頂きました。松本人志さんのスターの軌跡とテレビ支配に至る知られざる歴史を辿ったルポになっております。何回も試行錯誤して練り上げた記事になっていますので、ご興味あるかたは、ぜひ下記のリンク、もしくは雑誌をご購入頂き読んで頂けると嬉しく思います。

いろいろ取材しているなかで書ききれなかったことを、noteにて”アナザストーリー”として公開したいと思います。題して『松本人志、テレビと万博の闇ーー』。テレビを支配した先に彼らが何を見ようとしたのか? なぜ蹉跌があったのか。散文的な書き方をしていますが、それでは以下からお読み頂ければと思います!

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Ⅰ 維新とダウンタウン

 

 秋の晴天の陽光が差し込む御堂筋は、約30万人と発表された人々の群れで埋め尽くされていた。メインゲストがその姿を現わすと嬌声があちこちから沸き上がった。

ステージに案内されたダウンタウン・松本人志は、松井一郎大阪府市長(当時)、吉村洋文大阪府知事の横で強烈なボケを口にした。

「ミャクミャクって、こうやってちゃんと見るとメチャクチャ気持ち悪いですね」

 吉村知事が笑顔で突っ込む。

「万博のアンバサダーであること、覚えてくれてはりますか?」

「僕はノリノリですよ。浜田はイヤイヤですけど」

 当意即妙に松本が切り返す。

 松井市長が「万博が決まってから浜田さんは全く音沙汰なし」と続けると、浜田雅功が「アホか」と言わんばかりに市長の頭をバシッと叩いた。

 二〇二二年十一月、「御堂筋ランウェイ」は万博への機運醸成のためのイベントとなっていた。歌手やクラッシック指揮者などと並んで万博アンバサフダーに選ばれていたダウンタウンは同イベントの“目玉”だった。御堂筋ラウィエのフィナーレを飾るゲストとして壇上で軽妙なトークを繰り広げる彼らを、ワイシャツ姿の大崎洋は眩しそうに眺めていた。

 

Ⅱ 大崎洋の不遇と辣腕


 吉本興業の創業家の一人であり、元会長林浩章(故人)はお笑い芸人を評してこう語ったことがある。

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