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〈子供食堂 について〉



とある兄弟の話。
むかーしむかし、小学6年生と4年生の兄弟がいた。
父親はおらず、母親が面倒を見てくれた。
そんな母親は17時ほどになると、仕事に出かける。
晩御飯はチンして食べた。
二人だけの夜は、セガサターンを貪る様にプレイした。
特にthe Towerと サカつく2 。
朝方までテレビつけっぱなしで寝ていたこともしばしばある。

そんな育ち盛りの二人なもんだから、夜中になると、お腹が空く。
冷蔵庫を漁り、適当な食材で炒飯を作る。
ご飯の量をいつも見誤り、大量に作ってしまのだが、残りは朝方帰る母親の分としてラップをかけておいた。

とある日の夜、二段ベッドの上の壁にでっかい蜘蛛がいたので兄弟二人はパニック。
考えた挙句、ガムテープを長く取り、そっと蜘蛛に貼り付けて動きを封じ、そのままにしておいて、寝た。
朝起きたらガムテープごと無くなっていたので、母親がなんとかしてくれたのだろう。

腹が減っては炒飯を作っていたので、大人になった今も、炒飯が得意だという、小さなアパートで過ごした兄弟の話。

子ども食堂 という言葉を最近よく聞く様になってきた。
どんな属性の子供たちが訪れるのか。
多様性に富んだ現代社会においては予想の遥か上を行く理由で訪れる子たちがたくさんいるのかもしれない。

子供たちは悪くない。
大人(親)に従い、大人(親)が敷いたレールの上を歩んできた子供たち。

大人の都合でそうなった以上、責任持って大人がケアをするのは、当然の話だ。
ただし人生も経験値がものを言うところもある。

子ども食堂。
あの当時、耳にもしたことなかった言葉。
東根市内には数ヶ所、月一回の開催だそうだ。

あの当時、子ども食堂があったら、何か違う道筋を歩んだのだろうか?

きっとあの兄弟は、今も何処かで、強く生きていることだろう。
何があっても、強く生きろよ、子どもたち

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