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【文豪たちの映画論】室生犀星の場合~部分の美しさーダリオ・アルジェントの映画を例に

2014年9月13日の午前中に金沢にある室生犀星記念館を訪れた。「犀星と映画」という企画展を開催中だった。室生犀星の映画への接し方を垣間みることができて、非常にエキサイティングな企画展だった。展示されていた参考文献で、気にかかる部分があったので参考までにノートに書き留めておきたい。

ダリオ・アルジェントの映画の多くが犀星のいう部分の飛躍と成功に当てはまるのではないか。もし、犀星がアルジェントの映画を見たのなら、どんな感想を持つのだろうか、などと思いながら展示を見て回った。

「私は映画全体における成功といふことに重きを置かない。どこかに、疼くやうにしがみついてくる場面の幾つかがあれば、そしてそれが映画の失敗にも拘らず面白ければ、私は私のやせた手で喝采するのである。監督も小説家のごとく失敗することもあるだらうが、或る場面が、言いやうもなく出来上がって居れば、部分の成功に喜ばざるをえない。映画はつねに部分の飛躍と成功とから成り立つものであり、小説もそのやうに部分の成功から成り立つものである。」(室生犀星「部分の美しさ」『婦人公論』昭和31年8月)

絵画や写真はワンショットの輝きである。音楽でもワンフレーズの輝きがあれば成功である。アルジェントの神がかった細部の描写には喝采せざるを得ないのだ。



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