「運命」という言葉が好きだ

「運命」という言葉が好きだ。
私はことあるごとに冗談めかして「運命やん!!」と興奮を露わにする。

例えば数年前の1月5日に映画館でみた「アリー・スター誕生」
涙を流し、レディガガの歌声に酔いしれ、監督と主演を務め上げたブラッドリー・クーパーの渋いカッコよさに完全にやられたその日。

調べてみればその1月5日はブラッドリー・クーパーの誕生日だった。
ブラッドリー・クーパーの魅力に気付けたその日が彼の誕生日!?
まじか!!? そんなことある??
今日私の誕生日でもあるよ!!!?

こんなの「運命」と呼ばずしてなんとする!? という勢いですぐさまツイートしたし、お姉ちゃんや旦那さんやその後あった友達にも「これってもう運命よね…」と鼻息荒く語って見せた。

※以下映画の内容に少し触れます。ネタバレしたくない方はお気をつけて!

髭って個人的にはそんなに好きじゃないし、役柄に引っ張られて好きになることが多い私なんだけれど、髭面で、あまり役柄も好きになれなかった(と言い切るのは難しいんだけど、好みの性格ではなかったかな、というくらい)というのに、私は映画を見終わった頃にはすっかりブラッドリー・クーパーの虜だった。

あの低くてかすれた声(これは本人が意識して普段よりも低い声でわかりにくく発声しているらしい)がセクシーで、しかも役作りのためにそうしているという姿勢にも感動してしまった。監督として画の見せ方にも拘っていて、いつもアリー役のレディガガは画面の真ん中にいる。トイレという主人公の舞台には相応しくない不衛生な場所ですらど真ん中にいる。そして彼の心のうちを表すように少しずつ、ブラッドリー・クーパーは画面の端に位置し、視線が伏せられていく。こんな細かいことを考えて作られているのかと思うと本当にすごい。語彙力がない。すごいとしか言えない自分が辛い…。

特に最後の歌、まるでアリーのその時の心情をありのままに歌っているように思える歌詞なのに、紛れもなく作ったのはジャック(ブラッドリー・クーパー)で、そのお互いの悲しみをそれぞれの喪失とともに共有してしまう悲劇があまりに辛いのに、よくできた映画だなあと同時に感嘆してしまう。

どの曲もイントロを聞いただけで胸が潰されてしまうような情感があって、すぐに私はサントラを買って聴き倒した。


私は悲劇よりも超ウルトラスーパー完全無欠ハッピーエンドの方が俄然好きだ。
陳腐な話だと言われようとも、私は素敵な登場人物たちには幸せになってほしい。
二人はお互いを心の底から愛していたし、心の底から必要としていた。
悲劇にならなくったってきっと二人の幸せな道があった筈、なんても考えてしまう。

「運命」という言葉が好きだって言ったけど、あれが二人の「運命」だったんだと言われても私は納得できない。

幸せになる運命しか、私は好きになれない。

だからといって私の映画に対する高い評価は変わらないんだけど、
(あと「ダークナイト」とかも好きなのでハピエンだけしか認めない!とかいうわけではない)
それでも、私の心の中では、二人はお互いを信じ、愛し合い、幸せに包まれてずっと暮らしたんだ! ってそんな運命を信じている。

「運命」って誰かと出会うべくして出会ったり、落ちるべくして恋に落ちたり、結ばれるべくして結ばれたりすることだと私は思いたい。恋愛に限らず、人と人の繋がりや物事や感動との出会いだって。

いつまでも子供じみたハッピーエンドばかりを追い求めるのがナンセンスだとしても、私は「運命」に理想と幸せを託したいと思う。

世の中にはたくさん悲劇が溢れているけれど、
私の心の中はいつも幸せな「運命」が生きている。
勿論旦那さんは私の運命の人だと信じてやまない。

たくさんの人が幸せな「運命」を手にできますように。



あ…なんか言うタイミング逃したんですけど、サム・エリオットさんも
ちょう〜タイプでかっこよかったです〜〜!!! 好き!!

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