武蔵と部長の境界線

おっさんずラブというドラマがある。吉田鋼太郎様演じる55歳デキる課長がヒロインという触れ込みの、もう全力でぶっこんできた感あふれるドラマだ。もうこれだけでお腹いっぱいな印象を持ってしまい、1話を見逃したのが悔やまれる。

王道月9顔負けのラブコメディが、なぜテレ朝のサイトアクセスランキングトップを占拠し、あまつさえ世界のTwitterトレンド1位を獲得する事態になったのか。

男性同士の恋愛を取り扱うと、腐女子向けBLドラマと思われがちだ。もしくは啓蒙的な重いシリアスなテーマを感じさせる作品。

コメディで描きながら、真面目に人を愛するってどういうことなのかというどシリアスなテーマを敷いたこのドラマは既にBLドラマ(BoysではないのでOLなのだが)ではなくなった。ただ、そんなものを取っ払った、ラブコメとして成立させてしまったのだ。

その鍵となったのが、ヒロインである武蔵部長である。

簡単に補足しておくと、主人公、田中圭さん演じる春田は生来は異性愛者である。そして、その春田をめぐり、同居している同僚、牧(林遣都さん)と上司である部長との三角関係が基本形となっている。

やることなすことあり得なさすぎて、一部からセクハラだのパワハラだの言われる愛情表現の迷走ぶりの武蔵だが、どこか憎めない。
それはやらかしてしまった後の反省タイムに、やらかしてしまうけれど、相手のことも考えているという、まさに恋する乙女状態。重たい長文LINEを送りつけて、正座で反省する様子など、心当たりのある人も多いのではないだろうか。

そう、武蔵の片鱗は、ある程度生きてきて、誰かに恋をしたことがある人なら、多かれ少なかれ、経験したことがある気持ちと反省と、切なさを思い出させてくれる存在だ。中にはいきなり万全のテクニックを持って、恋愛で失敗なんてしないと豪語する猛者もいるのかもしれないが、そんな恋愛チートはこの際置いておく。

そして肝心の春田だが、恋愛ではなくても部長としての武蔵を尊敬している。乙女モードを知った後ですら、部長モードに戻ると、かっこいいという言葉すら出てくる。春田の素直さがストレートに武蔵と部長の人となりを春田なりに許容しているのだ。

ラブストーリーにラブコメは多い。多くは恋する人達の滑稽さを愛おしく描いている。失敗した恋もやり過ぎた恋も、武蔵はすべてすくい取ってくれる。まさにラブコメ王道の『完璧じゃないけれど応援したくなるヒロイン』だ。

現実世界ではまず、なかなかお目にかかることのない、55歳男性乙女の武蔵が、異色のおっさん達の恋のわちゃわちゃラブストーリーを、ごく普通のラブコメに変えてくれた。

多くの女性をヒロインとするラブコメは、ヒロインがついやってしまう想いのほとばしりもコミカルな表現をされることも多いが、これを男性同士の恋愛を描く時にやってしまうと、揶揄していると取られかねない怖さがある。しかし武蔵はあっさりといとも簡単に乙女化してくれた。男でも女でもなく、そこにいるのはまぎれもなくただの恋愛に不慣れな人だ。

つまりコメディというジャンルで描くことによって、マイノリティを扱ったドラマではなく、誰もが持つ当たり前の恋愛感情になり、マイノリティとマジョリティの垣根が本当の意味で消えてしまったように思う。性が好んだ性を選んで好きになるのではなく、ただ、誰かを好きになることに、どう真剣に向き合うかということを問いかけてくる。

だからこそ同性愛者でなくても、腐女子でなくても惹きつけられるのではないだろうか。そこにあるのは、ただ「愛」だ。そしてどんな形だとしても、まず「愛」として受け入れてくれる優しい世界だ。誰かの愛を否定しない。受け入れられないとしても、愛をくれる人そのものを否定しないのだ。

6話を経て、現在切なさと苦しさまっしぐらの春田と牧を個人的には全力で応援したい。しかし最終回でどんな結末になったとしても、部長には敬意を表す。

「お前が俺をシンデレラにしたんだ」

こんなセリフがあったが、視聴者をシンデレラにしたのは武蔵だ。誰も少しは経験のある失敗や後悔を包み込んだ世界へ連れていってくれた。

明日の真夜中12時過ぎには、おっさんずラブの魔法は解けて、現実がやってくる。けれどきっと視聴者の心には、それぞれのガラスの靴が残っている。

そして公式に謹んでお願いをする。

願わくばそのガラスの靴に、丸くて光る例のものをBOXに詰めて、できれば2016年版と一緒に視聴者に届けてくれれば、きっとみんな幸せになるだろう。ぜひご一考を。



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