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さん生・志の輔・桃花三人会レポート

富山男に江戸娘と副題の付いたこの公演、1月の志の輔らくごはコンディションが最悪でちゃんと聴けなかったのでリベンジしたくて申し込んだ。以前、桃花二葉二人会の会場を間違えそうになったのであるが(以下の記事冒頭のとおり)、それはこの公演の情報を間違えて見てしまったからであった。あのときのことを思い出しながらなかのZEROに向かった。

いつもながら席を当日まで確認しておらず、直前にチケットを見たらがっつり最前列で驚いた。ホールだと席によっては噺家を見下ろす形になるが、今回は文字通り高座を見上げることになった。息遣い、仕草、表情を間近でたっぷり浴びることができた。首が痛くなったけどそんなことはどうでもいい。

転失気

前座の三遊亭東村山による開口一番。寺の和尚は「てんしき」の意味が分からず、小僧にうまく言い聞かせて医者の先生のところにその意味を尋ねに行かせる。「てんしき」は「転失気」であり、屁のことなのであるが、それを聞いた小僧は和尚を騙そうと、徳利のことだと嘘をつく。和尚は高級な徳利を「てんしき」と言って医者に見せようとするが、「転失気」の意味を知らないことがばれて恥をかくという噺。

いつも開口一番を聴くときは最初のほうはうまく入っていけなくて、途中からストーリーがすーっと入ってくるようになる感覚がある。落語は聴く側の想像力も必要だったりして、映像作品とかと比べるとこちらも能動的になる必要がある。たぶん「落語を聴くモード」というのがあって、普段の生活のモードからそっちに切り替えさせる役割を前座が負っているのだと思うと、その役割をしっかりこなしているのはすごいなと思った。

「転失気」とは屁のことであるということが判明する肝心のシーンで、会場全体と若干ずれたタイミングで明らかに質の違う軽やかな笑い声が響いた。そのとき全員が思ったことを東村山さんは口にした。「おや、子どもがいるな?」と。大きな笑いの渦が起こる。その場の平均年齢から半世紀単位で若いだろう存在にみんな嬉しくなったのではないだろうか。このとき会場の空気がいい意味でほどけた気がする。若くしてこんな素敵な落語会を聞けているというのはちょっと羨ましくもあった。

亀田鵬斎

柳家さん生さんも富山出身とのことだが、落語を聴くのは今回が初めてだった。写真だと怖そうな感じに見えたので、柔らかい物腰はギャップがあった。

亀田鵬斎は書の大家であり、晩年を下谷金杉で妻とともに暮らしていた。楽しみは孫が遊びに来ることだったのだが、ある日友達と遊んでいたはずの孫が姿を消してしまった。拐かしではないかと慌てて探すが見つからない。そこに屋台の店主である平治が現れて、疲れて寝ている孫を屋台に乗せて送ってくれた。この親切に感謝した鵬斎はお礼に、屋台の小障子に「おでん熱燗 平治」と店主の名前をしたためる。読み書きのできない店主はこれを大いに喜ぶ。そしていつもの通りおでんを売っていると、最初に来た客が一両と引き換えに小障子を持ち去ってしまった。平治はこのことを鵬斎に報告し、おでんではなく小障子に支払われたものだからと一両を渡すと、鵬斎は一両はもらわないが預かっておくと言って書を書き直してくれた。しかし、何度書き直しても小障子が持ち去られることが続く。最終的に、鵬斎は預かっていたお金を平治に渡し、屋台ではなくお店を出してはどうかと提案する。

可笑しくて人情味ある話で結構好きだった。孫を送り届けてくれた平治にお礼をしたいという鵬斎に対して平治は当然のことをしたまでなのだから礼は要らないと頑固である。鵬斎も鵬斎で礼をしなければ気が済まず頑固である。この頑固同士の言い合いが江戸っ子らしくていいなと思った。小障子がなくなる度にお金を鵬斎に持ってくる平治も正直で律儀だし、その度に書き直す鵬斎も親切すぎてちょっと可笑しい。この落語、古典だと思ったらさん生師匠の新作らしい。さん生師匠の他の演目も聴いてみたいと思った。

ナースコール

高座に上がった桃花さんは、2人の師匠のお客さんばかりだろうから、と言いつつ、マクラを話しながら何のネタをやるか考えているようだった。寄席ではないこういう会でも高座に上がってから演目を決めるのか、と驚いた。女性のモテ仕草の話をし始めたので、以前聴いた吉原の噺である「お見立て」をやるのかなと思ったが、両師匠が絶対やらないネタをやることに決めたと言って語り出したのは、まさかの看護師のストーリーだった。三遊亭白鳥による新作落語らしい。

最近その病院に採用された新米看護師のみどりは本当に看護学校を出たのかというくらい無知で、検尿カップにコーヒーを入れたりしてしまう様子に看護婦長は呆れていた。白い巨塔を観て看護師になりたいと思った彼女は、「患者さんのお腹をチョキチョキしたい」という願望を持っている。みどりはナースコールがどういうものか分かっておらず、壊れたと思って電源を抜いてしまった。それに気づいた婦長が電源を入れ直すと、早速ナースコールが鳴る。患者のもとへ向かったみどりはその患者のためになんでもしてあげようと思う。饅頭をたくさん食べさせてあげようと患者の口にいくつも詰め込むと、当然窒息しそうになった。ナースコールで婦長が駆けつけると、ここぞとばかりに患者を腹を切開しようと意気込んでいるみどりがいる…という噺。

看護師のみどりがボケとぶりっ子とサイコパスを掛け合わせたかなりクレイジーな人物なので、振り切った演技が不可欠であり、それをいきいきとやり遂げている桃花さんすごいなと思った。これはできる人が限られるネタだと思う。ところどころ色々な落語家たちの名前を挟んでいてばっかんばっかんウケていたが、落語界に詳しくなさすぎてそこはついていけなかった。分かると楽しいだろうなと思う。

ちりとてちん

トリは志の輔師匠。桃花さんが「ちりとてちんが放送されたときに女性落語家か急激に増えたが、その頃始めた人は誰も残っていない」と話したのを受けてか、ちりとてちんをやってくれた!

町内会が中止になって余ってしまった料理を食べてもらうため、旦那は近所の六さんを呼ぶ。六さんはコミュ力ある大人なので、何を食べるにも大袈裟に褒めそやしてくれる。旦那は歳のせいか鰻の脂がこたえるので、代わりに豆腐を出してくれと女中に言う。しかし豆腐は鍋の中で十日余り放置されていて腐ってしまっていた。食べ物を粗末にしてはいけないと叱った上でそれを捨てさせようとするのだが、旦那はそれを感じの悪い知り合いのタケさんに食べさせることを思いつく。強烈な臭いを堪えながら豆腐を瓶に詰めるとそこに唐辛子を足して蓋をした。そしてタケさんを呼んで料理を出すが、タケさんは六さんとは違って全てにいちゃもんをつけながら食べる。食事の最後に、これなら喜んでくれるはずと言って「長崎土産のちりとてちん」と言って例の豆腐を出すと、タケさんは知ったかぶりでそれを食べたことがあり大層美味しいものであると言う。食べざるを得なくなったタケさんは臭いと不味さに悶絶しながらそれを食べる。

志の輔師匠はふざけていないような口調でふざける感じが本当に天才的だなと思う。間が絶妙で、空間の緊張と弛緩のコントロールがすごい。マクラからぐっと惹きつけていた。その上でちりとてちんはビジュアル芸でもあって、腐った豆腐に悶絶する様子は大きい演技でありながら大袈裟というよりは迫力がありつつしっくりくる感じで爆笑できた。きっと最後列でも感動できただろうけど、この素晴らしい話芸を間近で堪能できたことは宝物だ。富山方言バージョンの落語も一度は聴いてみたいと切に思う。

「ちりとてちん」は桃花さんの発言とのつながりもある上、知ったかぶりをする人を取り上げる話なので、その点では最初の「転失気」ともつながるので、落語会全体としてもきれいに収まっていて感動した。異色の組み合わせでどんな会になるのだろうと思ったけど、おでんを食べたくなってコーヒーと豆腐はしばらく要らなくなる素敵な会だった。

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