九州の世界遺産 旧鹿児島紡績所について
みなさんこんにちは。
阿加井秀樹です。
今回は九州の世界遺産をいくつかご紹介させていただきます。
今回は旧鹿児島紡績所です。
1867年、洋式紡績工場の技術者宿舎として建てられ、通称異人館と呼ばれていました。
薩摩藩最後の藩主、12代島津忠義がイギリスから紡績機械を輸入して日本初の洋式紡績所を設け、技術指導を受けるために招いたイギリス人技師ら7名の宿舎として建設されました。
当時の鹿児島には初めての2階建て洋館で、技師の帰国後に勃発した西南戦争の際では傷病者の救護施設にも使われますが1897年に閉鎖されました。
洋風和モダンと敬称するのが適切だと思わすような旧鹿児島紡績所はイギリスで設計され、日本の寸尺の技術で建てられました。
当時の日本には無い多面形のポーチは八角形の半分が表に出され、4面にはバルコニー、窓は全て透明のガラスが張られています。
周囲は回廊となっており、内装も豪華で天井や内壁にもクロスが張られ、お洒落な照明器具が設置されています。
外壁には白いペンキが塗られ、開口部はアーチ型が採用されていますが、屋根の小屋組は全て尺貫法の寸法が用いられ、洋風ながらもどことなく和のたたずまいを感じさせてくれます。
急逝した前藩主の斉彬は、集成館事業の一つとして洋式帆船建造のための帆布を自前で製作するために紡績事業の必要性を説いていました。
当時反射炉や蒸気船などに関わっていた石川確太郎は、12代藩主忠義に紡績事業の必要性を伝え、最盛期は職工200人、一日10時間操業で綿織物を作り、やがて機械の一部を大阪・堺に移したこともあり、関西を中心とする紡績業の発展に大きく寄与したと言われています。
それではまた。阿加井秀樹
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