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ルドルフ 中秋の名月に、この数年を振り返る

約1年ぶりの投稿となります。やっとのこと、再開の筆を執ろうかと思っております。
 
本ブログでは、私の人生の振り返りや自分の社会観、人生観をツラツラ書かせていただきました。
まあ端から見れば、暇つぶしの戯れにも思えたしょうね。
ただ実際のところは、正反対で、ここ数年は難事の連続、激流のなかを漂う木の葉のようでしたね。
いつどこから、無慈悲な濁流が襲ってこないか、また眼前の岩場に叩き付けられやしないか、ただただ無事着岸できるように身をよじっておりましたよ。
(これは私の個人の有様ですが、時を同じにして、世間もいろいろと多難でしたね)
ともすれば正気を保つことも難しい状況でしたが、そんな折り、多少の強がりもあって、このブログを書いていた次第です。今にして思えば、このブログが私にとっては大きな救いとなりました。頭の中を整理し、煩わしい現実から離れる一瞬は、大変貴重な時間でした。このITツールには感謝していますよ、本当に。
 
2023年春先から秋を迎える今になって、やっと私を煩わせていた事柄も徐々に落ち着いて参りました。すべてが安定した訳ではありませんが、視界が晴れてきた感じですね。春先には嵐が過ぎ去る気配も感じたのですが、まだまだ安心は出来ないぞ、何か起こるんじゃないかと、慎重にしておりました。
 
今、再開するにあたり、これまでを総括しようと思ったのですが、まあ語ることが多すぎるし、不思議な巡り合わせもたくさんあって、総括するにはまだまだ多くの時間が必要な気がします。
恐縮ですが、現状では、詳細について、筆を置いておくことに致します。
(え、結局ダンマリかよ!)
まあ、話始めると迷走しそうですし、そもそも実生活でも誰にも話しておりませんし。
 
あと、私の個人的な嵐の期間と時を同じくして、日本はおろか世界中が、社会的な混乱に満ちていましたね。しかし、このシンクロ度合いは、ただの偶然とも思えません、まあ結果オーライならば有難いのですが。
 
公私ともに、通常経験しない類いの事柄に連続して襲われたこの数年、皆様のご無事を願います。
 
(我自身はよく対応できたものだと思っていますよ、これまでの経験をすべて活用したおかげですかね。自分自身と、時折訪れるささやかな幸運に感謝です)
 
*時々、心の声を挟んでおりますが、右脳と左脳の会話だとでも、思ってくださいね。
 
まあ今、思うことは、この数年だけではなく、これまでのすべての年月が繋がりをもち、そして意味をもつことのように思えてきたことです。
この10~20年に起きたことを振り返ると、特にそんな印象を強く持ちます。
すこしオーバーかもしれませんが、伏線が多く張り巡らされた芝居を演じている役者のような気にもなりますね。
各ステージで、自分の役を演じ、その度ごとに少しの経験値を積み重ね、成長を得る。
そして、小さな特異点(シンギュラリティ)を通過し、ちょっと難しい次のステージへ上がる、こんな繰り返しでしょうか。
 
「人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。とかく、あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし」by福沢諭吉
 
諭吉翁も、上記の言葉を述べられています。
何かアントニオ猪木さんの「道の詩」にも似ているような気もしますけどね。私としては一つのステージごとに、一生懸命演じることが出来れば、少しの成長やステージを上昇する変化が起きてくるのかしらと思っております。
 
まあ、諭吉翁については、何しろ肖像が紙幣になっておりましたものねえ、日本人にとって紙幣は「お札」の呼称で呼ばれ、これって、ありがたい「おふだ」的存在って位置づけなのかしらとも思い、敬意を表して、お言葉を使わせていただきました。
 
これから、ぼちぼち本ブログを再開していくつもりですが、時事ネタは、目先の事象を追うと、混乱してしまいますので、全体的な注意喚起という感じで触れさせていただきます。
 
(もう舞台も終盤ですね、フィナーレは色鮮やかかもしれませんが、変化は激しいかと思いますので、巻き添えにご用心のほどを) 
 
まあ、お暇な時にお目通しいただけましたら、幸いです。


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