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エピソード供養として過去の出来事を吐き出す【鞍馬の夜】①

エピソード供養として過去の出来事を吐き出す【鞍馬の夜】①

雑誌で、京都の鞍馬山で1月最初の初寅の日に毘沙門天に参拝すると無量の大福を授かると読んだ。無量の大福とはなんぞや?京都には何度も来ているのだが鞍馬寺には訪れた事は無い。

完全に興味本位で『初寅大祭』を行先に決めた。知らない山の夜でさすがに一人は嫌なので同行者を連れて行く。

一般的に鞍馬寺は牛若丸が幼少時に天狗と修行した寺として有名で京都の鬼門に位置する。寅年の『初寅大祭』の予備知識は無いのでザックリと一晩中かけて護摩祈祷するのかな?くらいの気持ちで同行者と夜遅く出町柳駅から叡山鉄道に乗って鞍馬山に向かった。

乗った電車が宝ヶ池駅を過ぎたあたりから同行者が一人で笑いをこらえているのが横目に入る。何事かと思って聞くと、電車のロングシートの向かい席に座る老婆が同行者の動きを鏡のように真似をしていた。老婆は1月だと云うのに薄手のワンピース姿でコートも着ていない。底冷えの京都でも地元の人は寒さに強いのだろうか。

最初は一緒に笑っていたが、長々と真似をされるのに段々不快感が募ってきたので止めるようにジェスチャーで諭すが一向に止める様子も無い。奇妙な老婆との係わりを避けて隣の車両に移動する。ガラス越しに様子を伺うとシートに横になって寝ているようであった。

市原駅を通り過ぎると山が近くなり住宅の灯も少なくなる。そこでふと仄かな不安がよぎる。あの老婆が降りる気配が全く無いのだ。もしかして終点まで向かうのだろうか?同じ駅?こちらから注意をした時の虚無を見つめる茫洋とした目を思い出して、少し怖くなり始める。

二ノ瀬駅、貴船口駅を過ぎて終点の鞍馬駅に到着するが、変わらず老婆も乗車したままである。あまり考えないようにしていたが、老婆の顔は当時より5年前に亡くなった祖母に少し似ているように思う。だからといって親近感は芽生えないのだが。

終点の鞍馬駅で乗車客がぞろぞろと降りていくが老婆は寝たまま。それを確認してからホームを遠回りして改札に歩き始めると、後ろからやおら甲高い叫び声をあげているのが聞こえる。件の老婆が叫んでいて、そのまま駅のトイレに走っていった。しかし行った先で別段用足しに入る訳でもなく叫びながら扉を開け閉めして、改札を走って抜けていってしまった。この時点で駅員を含む何人かは居るのだが誰も気にしている様子も無い。どういうことなのか? 地域の有名狂人なの。

昼間なら土産物屋や飲食店が客を出迎えて賑やかな駅前であろうが、何せ夜の11時台。どこもひっそりしていて、しかも背後は山。走っていった老婆は超気になるが、元々の目的である『初寅大祭』を行う本殿に行く敷地内のケーブルカー山門駅を目指す。ビックリして足は震え、何もかもの心配を抱えて辿り着く鞍馬寺仁王門は石段の灯籠に照らされボウっと闇から浮き上がっていた。

よく見ると暗闇の中で誰かが石段にいる。祭りの為の参加者かと思い歩いて近付くと、先ほどの老婆であった。老婆はひとりでこちらに背中を向けスズメのように石段を一段ずつピョンピョンと登っていくのであった。思考停止、ちょっ待てよ!もう、恐怖しかない我々。

前略、道の上にて考える。ソイヤッ!夜11時、終電で来たので帰る電車は無い、この時間では宿は難しくネカフェも近隣には無い。暫し考え数分置いてからケーブルカー山門駅に向かった。

訪れた山門駅に職員はたった一人。待合室のお堂は天井が高く広々としていた。次の運行には少し時間があり、待っても誰も来る様子が無い。気になったので職員の方に我々以外にこの時間帯に誰か来たのかと聞くと、他の祭りの参加者はもっと早い時間に到着していて小一時間ほど誰も来ていないという…。ええ…。

見間違いではなく、あの奇妙な老婆は確かに山門を抜けていった。この深夜に底冷えのする山道をひとり歩くのだろうか?電車には乗っていたが本当に人間だろうか?狸に化かされたのか。始まったばかりの京都の夜は恐ろしく今更宿もとれないので、人が夜通し大勢いる本殿に行く事をここで決断した。


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