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中華粥と鬼ごっこ

お墓参りの帰り道

六本木六丁町公園で、近くの五于というお店で帆立と白身魚の中華粥をテイクアウトして頂く

めちゃくちゃ美味い

近来稀にみる美味さに目を見張る

土日は800円 平日は750円商売上手だ笑

イントネーションから本場の方と分かるお姉さんが、三角地に三畳もないような狭小店舗を切り盛りしている

ピータンと揚げパンとピーナッツがオマケでついてるのも、心憎い

スープが熱々、半端なく熱々で、フーフーしてもなかなか冷めない笑

一口ずつ、ゆっくり口に含み胃の腑に染み渡る滋養。

ああ、幸せだ。

都会のど真ん中で、公園で中華粥を啜りながら、少年野球の練習から三々五々に再集合する子どもたちが、ひとり、またひとり、代わり鬼に加わっていくのを眺める

子どもは無心に遊んでいる

駆ける、止まる、笑う、拗ねる、そして転び、また走る

一時も止まらず、時間を捕まえて時の流れと共に動き続けている

こどものころに、時間がタップリあったような気がするのは、そのくせ、何時間もアッという間に過ぎていったのは、大人のように考え込んだり、振り返ったりしてベクトルに逆らい摩擦と軋轢を生まずに、常に流れる時間と呼吸があっていたからかもしれない。

時間は不可逆

前から後ろに進むことはない

後ろから前に駆けていく

公園は子供らの歓声に包まれ

ディストピアみたいな夜の街のど真ん中で

そこだけユートピアみたいだ

次の瞬間には誰もいなかったりして

腰を上げて国立新美術館に踵を向ける

墓場の非日常から

生きてる私は腹ごしらえを済ませて笑

アートの非日常へ身体と右脳を連れて行く

何で器を満たすか

迷うならアートと音楽とベッドイン





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