拝啓石川啄木さま
書きたいことがマーライオンのように口からゴボゴボと出てくる。そんな時は私は私に憑いたイタコみたいなかんじで、指先と脳みその自動操縦に入る。(マーライオン、実際見たことないんだけど、あんまり勢いよくないみたい?ベルギーのションベン小僧のほうが勢いあるかも?!)
とはいえうまく一気にトランス状態に入れる時もあるけど、邪念がある時、一度シャックリが出てしまうともうダメだ。
編み物をしているときもそうなんだけど、毛糸と手の動きと脳みそがいい感じにトランス状態に入ると(先程から何度か恍惚状態と申し上げていますが、これはナチュラルハイのことでケミカルにこの状態に入ることは指していません笑)口から糸を吐き出してる蚕みたいな気分になってきて一気に編み上げることができるのだけど、指のせいなのか、思考のせいなのか、一向に進まず埃をかぶってしまうこともある。
気まぐれ。と言えばそうだし、やはり何かを作る時には降臨というか、ひらめきが自分の中にあって始めるものなのかなと思う。
先程、母親への依存について長女に向かって持論を展開して、ドヤ顔で決まった!どや!と小鼻をピクピクさせて内村航平だったら着地10点満点やな、欽ちゃんの仮装大賞だったら20点満点のやつだとほくそ笑んで、で、どう思う?と聞いたら
長女。眉間にしわを寄せて、うーんと難しい顔をする。なんだ、考えてんのか?と思いきや、おもむろに片尻をあげて、
プウ。
と一言ならぬ、ひとオナラ。そっちの難産やったんか!全くもう!と大笑いしたら
いや、これが本当のへんじだよ。ヘーって屁の返事。と言いながらケラケラ自分でも笑っている。
閑話休題。なんてかっこつけてもダメかなあ。長女、お嫁に行けなくなっちゃうかなあ。
ほんの小さなプウという音でもゲラゲラ大笑いする関係性もある。でも、離婚する前の我が家では私と元夫は、石川啄木の「猫飼わば それがまた 争いの種になるらむ 悲しき我が家」を地でいくような、良かれと思ってやったことでさえ、相手にとって口撃の糸口になり、ストレスになり、どうしてこうなってしまうのだろうと言う、渦のような悪循環をせっせと互いに作り出していた。
結局離婚という大ナタを振るわなければ、15年かけて熟成してしまった悪循環を断ち切ることはできなくて、その途中にも他の方法がなかったのかと思うけれど、なかったんだなあ。あったのかもしれないけど。
悲しみが癒されるのにも時間がかかるし、降りかかった火の粉を払おうと火傷もしたけど、プウというひと音でこれだけ笑える今日という日に感謝して。