走馬燈

久しぶりに会う友人が待ち合わせに乃木坂を指定してきて、大抵西荻か中野、この何十年か中央線から外れたことがなかったので笑、意外だったけど、うん、と言って向かう。

あ、これは、祖父母のお墓参りに。

六本木を俳優座から、サントリーホールに向かって坂を下りた左手、米兵向け住宅の麓に祖父母が眠るお墓がある。

行けということだな。

祖父は私が生まれてまもなく、長野の御柱祭の写真を撮りに出掛け、その旅先で心臓発作で急死したそうだ。切手収集と全国の祭の写真を撮るのが趣味だったそうだ。
祖母は祖父亡き後も、ひとり暮らしを続け、私は大学の二年間、郊外のキャンパスへのアクセスの良さから祖母宅2階、嘗て叔父が使った部屋に居候していた。

寝食を共に暮らした日々がある分だけ祖母への思い入れは強いし、思い出の数も多い。
関東大震災の時のこと。戦争で焼夷弾が降ってきた夜のこと。祖父との馴れ初め。ずっと働いてきた人生のこと。近所の人に再婚しないことで偏見の目で見られたこと。祖母の兄弟姉妹のこと。沢山話を聞いた。

亡くなった人は、現世を生きる人に触れることはできないそうだ。だから、今回私が彼岸に引っ張られるのを引き留めてくれたのは、祖母ではないのだろう。

でもこっちに来るな、まだ早い!と声を大に追い返してくれたんだと思う笑。

リメンバーミー

牛ならぬ、友に引かれて永昌寺。

ーチコ、大丈夫だったかい?
ビックリしたよ、急にこっちに来るなんていうからさ。
子どもを成人させるまでは、親の務めだよ。しっかりおし。片親ななんだろ。お前がしっかりしなくて、どうするんだい!

ーう、うん。私もさ、ビックリしたんだよ。そんなつもり全然なくてさ。汗。

ーえ?聞こえないよ!とにかく、身体に気をつけるんだよ。

ーありがとう。おばあちゃん。

江戸っ子で、「ヒ」と「シ」がテレコで、面倒見がよくて、ちょっと口煩くて、無償の愛を注ぐこと、注がれることを、教えてくれた人だった。

多分感情がついた記憶を、私は長期記憶にしまうことにしているんじゃないかと、最近思っている。感情的な人間なので、出来事を単に情報として処理するより、感情で意味付け味付け処理してしまう分、人より少し長期記憶の引き出しが詰まっていて、そこから何十年経っても色褪せずに取り出せるのかなあと思う。

あ、その分?短期記憶は、秒速で忘却の彼方です笑。

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