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通学路の思い出

小学一年生のころ、はっきりは覚えていないんだけど、10日くらい登校拒否をした。理由も原因も覚えていないし、多分言語化できないからこそ、実力行使の登校拒否だったんだと思う。

毎朝、行きたくないとグズり、両親に説得され、または行くように強要されて、脅迫されて、父は身長が183センチと大柄で、小学一年生にしたら巨人だったので、力では敵うはずもなく、ズルズルと通学路を引きずられて毎朝遅刻して登校した。

勿論行きたくないが1番だったけど、市中引き回しみたいな絵図も結構屈辱的で涙、学校もイヤだけど、こっちもイヤだなあと思っていたのを覚えている。

緑のオバサンが見かねて、

ーこんなに行きたくないというんなら、ね、今日くらい行かなくても、ね?お父さん。

なんて助け船をだしてくれた時には、神様仏様キリスト様と拝みたい気分になったけど、父には馬耳東風、聞く耳持たず、癖になったら困るから、とにかく行くのがデフォルトと思わせるんだみたいな持論を展開しているのを聞いて、こりゃー無理だなー徹底抗戦してもと、ヒヨリ始めたのを覚えている。

引きずられて校門までくれば、ちゃんと教頭センセエが待っていてくれる。父からガッチリしっかりバトンタッチ。お縄の流刑人みたいだ。

ー大丈夫ですよ。お父さん、赤毛さん、門をくぐったら、別人みたい、何もなかったみたいなお顔で教室入って、ちゃんとお勉強してますから。

当たり前だ。教室で通学路の再現なんかしたら、取り返しがつかんやろ!!!アホか。と、涙目で思いながらスゴスゴ教室に入る。

学校に行きたくなかったのは、多分、生活チェック表みたいな、朝起きてから夜寝るまでを50項目位、①7時には起きました②顔を洗いました③歯を磨きました④白衣は洗濯しました⑤鉛筆は削りました…と自己チェックして親にサイン貰って先生にも見せるやつのせいだろうと思う。出来なければ、出来るようになればよいのだし、出来ることでなく、自分が気づくことが目的なのに、私は全部○じゃないと私じゃない。私は全部○の私でいたい。という融通性ゼロナルシスト小学一年生だったみたいだ笑

今ならいくらでも笑えるけど、あの頃は信じられないくらい自己採点が厳しくて、できない自分がどうにも許せなくて、でもやっぱり全部はできなくて、嘘もつけなくて、頭ん中パンパンに膨らんで、誰か言ってやれよ、いいんだよって涙。

時代もある。第2次ベビーブーマーで一クラスにギチギチ50人ぶち込まれてたし、受験戦争と入試は狭き門だと煽られ叩き込まれてたし。多少の暴力も教師の裁量に含まれる時代。厳しく躾ける=よい教育。

徹底抗戦の意気地がなかったのか、生活チェック表とガチンコ向き合うのはやめた小学一年生の赤毛のチコは、何事もなかったかのように、しれっと登校し始め、その後も無事に通い続けたのだけど、学校に行きたくなかったという記憶は強烈にこびりついて、娘等がそれぞれ学校に行きたくないと言ったときには、よしきた私の娘、血は争えないねえ、待ってたよとばかりに二つ返事。迷わず、行かなくてイイヨと言えたのが何よりよかった。

行きたくないときもある。やりたくないときもある。それが全く許されないというのは、ちと息苦しいのではないか。子供を信じて、ヒトヤスミヒトヤスミと一休さんくらいは休ませてあげていいんじゃないかなあと思う夕べに。



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