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waiting for you

どうしているかと気にならないわけがない
いつも頭の片隅でその人の不在を感じている

例えば親しい友人が入院しているとき

体調はどう?(そんなの良くないから入院してんだよ)
手術はどうだった?(まだわかんねえよ、終わったばっかりで!とりあえずICUからでただけ!)
退院日は予定通りか?(まだ決まんねえ!)
留守宅の家族はどうしている?(コロナで会えないんだからさ、こっちが知りてえよ!)

(カッコの中は今年入院してた時の赤毛のチコの心の叫び)

おまけに携帯だ。コヤツが厄介だ。
直ぐに繋げまっせと悪魔がささやく

でもこれは私matterの
私の思うこと
相手を思うテイだけど
その実
私が私の不安を解消したいだけ

医療が発達したとはいえ
不確定な要素がないわけじゃない
手術はいつも成功するわけじゃない
だから、安全地帯から健康な自分から
どうだった?なんて無邪気を装って聞くことは
反対の河岸ににいる人にはもしかしたら暴力だ

親切心と
悪意のないことを隠れ蓑に

どうしているかと尋ねたり
その人の命がけの必死の病室に
土足で踏み込んでいくのは

もうさ、大人になったんだから
そういうのを想像力の欠如っていうんだよ

だから
私たちは待たなくちゃいけない
相手の回復を祈って
時が満ちれば必ず連絡してくれることを信じて

今月は同僚が二人
月半ばから入院をした

数日前に無事に退院のLINEが来た
言葉数は多くはない
こんなときにベラベラしゃべれるわけがないんだ

ぎりぎりの状況で日常に戻ってくる
今年の私には肌感覚で分かる
だからそんなときには言葉は重すぎて扱えない

でも時間がゆっくりと
身体を日常に戻してくれれば
また同じ温度で言葉を交わせるようになる

それまでは祈る
ひたるら祈る


追伸的に

私が入院しているときに
病状のことはほとんど話題にせずに笑
他愛もない、普通に家にいるときみたいな会話を
入院中と忖度しているとは思えない頻度やタイミングで
やり取りした友達がいたのだけど笑

頭イテえと言いながら
プッと吹き出して
笑ってしまうような
そんな素直なトモダチンコ

その友達の存在は、病室という非日常の中で
エアポケットみたいで
蜘蛛の糸みたいに私と娑婆を繋いでいるようで
その敢えてなのか分からない
トモダチンコっぷりに救われる思いをしたのを思い出す

病室って非日常だから
自分が仕事や暮らしの蚊帳の外にいることが不安で
戻っていけるのかしら
この室温調整された温室から
出てまた生きていけんのかしらって
自信がなくて

だから、日常を保って
病気に話題を持っていかれないで
バカ言い合えるくらいの関係性ならば
連絡してもいいと思う笑

試されるね苦笑

両論併記だって?

で、連絡していいの
しちゃいけないのかって?

そんなの
自分とその人の関係性の中で
決まること

誰かに決めてもらうことじゃないと思う大晦日

曲は
やっぱり今年の終わりには
音楽とともに有りたくて
歌いだしのワンフレーズと
シンクロしたくて
勝手に借ります

Re:Re:   
ASIAN KUNG-FU GENERATION




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