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マスターは100円玉の袋を抱えて―インベーダーゲームと『ドンファン珈琲館』

登場するモンスターが国民的キャラクターになったり、あるタイトルの発売が熱狂的な社会現象になったり、過度な没頭が社会問題になったり。ビデオゲームはその登場からずっと、とくに子どもたちや若者の余暇の一部として、彼らの時間を溶かし続けてきました。
その黎明期を語るに欠かせないのが、インベーダーゲーム。正しくは、(株)タイトーが1978年に発売したアーケードゲーム「スペースインベーダー」です。その利益率の良さに目をつけ、「テーブル筐体」が数多くの喫茶店に置かれました。
登道南商店街にかつてあった『ドンファン珈琲館』もその一つ。同じ商店街でいまも「白石シューズ」を経営する白石さんは、かつて自店の隣にあった『ドンファン珈琲館』の常連の一人でした。

ぼくはもう、この、となりの『ドンファン』ぎり。友達が来ても、そう。ぼくはとなりにあったから、よく行ってただけで。ただ、そのときに、インベーダーゲームが流行って、お金を入れてやるの。今のゲームセンターよねえ。SEGAみたいな。あんまりお金は使わなかったけど。景気がよかったから、使う時は1000円くらい使って。

白石さんの記憶では「昔はここらにも、靴の専門店が7、8軒あった」という、商店街に活気のあった時代。白石シューズにも、東京や大阪、松山などからメーカーの担当者がひっきりなしに来ていました。メーカーからの仕入れ額が多いところは、メーカーから海外旅行に招待される、ということもあったそう。とにかく、景気のいい話ばかりです。

メーカーさんが来ても「や、白石さん、コーヒーでもちょっと」言うて、ドンファン行くし。メーカーさんがよう来よったんよ。月に1回くらい、東京や大阪から。3人くらい来よったよ。見本を持ってくるんよ。大きいバッグに入れて。その人たちが、私は一応社長だから、おだてて「まあ、社長、ちょっとお茶でも行きましょう」いうて、となりのドンファンへ、30分ばかり行きよったんよ。で、こういうときに、インベーダー好きな子は「おれはもう帰るぞ」言うても、「いや社長、おれはもう今日は仕事ないから、明日ゆっくり松山に行けばいいから、インベーダーして帰るわ」という子もおったわ。もちろん、一緒に飲んどるときはせんよ。なんぼなんでも。集金に来とるわけだから。で、話が終わったら、するんよねえ。

白石さんは、『ドンファン珈琲館』にも5~6台のインベーダーゲームがあったと記憶しています。メーカー社員の集金業務を上の空にさせてしまうほどの、インベーダーゲームの誘惑。

インベーダーは、もうどこにでもあったんよ。たぶん儲け口やったんよ、インベーダーは。ぼくは熱中してしたことないけどね。だいたい、コインでするんよ。インベーダーで儲けた店は多かったわいね。ここらでも、5、6台くらいあって。マスターが、重とうに袋を持っとんよ。「おい、お前何を持っとんぞ」って聞いたら、「ああ、100円玉よ」いうて。かなり重たい。まあちょっとオーバーなけえど。インベーダーは流行った。インベーダーの集金したやつを、銀行に持っていって振り込むか、お札に変えるか。『ドンファン』はとくに流行っとったからねえ。

100円を、何枚かのコインに変えて遊ぶインベーダーゲーム。営業が終了する頃には100円玉がたくさん集まります。その100円玉を重そうに抱え銀行へと向かうマスターの姿が、白石さんには強く、印象に残っています。
そんな全盛期から、ニチイやフジのオープン、イオンモール新居浜のオープンなどを経て、当時から残る店舗も数少なくなった商店街について、白石さんはこう言います。

昭和通りなんか、ここがほんとうに一番よかったところか、いうくらい店がないよねえ。おれらももう、昭和通りなんか馴染みで入れるところなんかないもん。「おう」言うて気軽に入るところは。

最近、街灯をLEDに変えた登道南商店街。白石さんは今日も店頭で、煌々と街を照らすその明かりがふたたび、たくさんのお客さんたちを照らす日が来るのを願っています。

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