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【note限定エピソード】仏崎、こわいこわい!-新居浜西条海岸線、決死のドライブ!

愛媛県道13号線。
新居浜市内の一部区間は「平和通り」と呼ばれ、新居浜市役所やイオンモール新居浜、西条との市境付近には住友金属鉱山(株)、西条市に入っても大型商業施設やビジネスホテルが立ち並ぶなど、新居浜と西条を結ぶ主要道路として私たちの生活を支えています。
この県道が開通する前、新居浜と西条を行き来する海岸線のルートは「仏崎」という岬を通る隘路が一般的だったようで、このルートに思い出のある方が多いようです。

西条から自転車に乗って新居浜に行くとしたら、いま、もうみんな知らんやろうけど、「仏崎」いうところがあったんよね。おばけが出そう、いうて有名で。その、おばけが出そうなところを通って、みんな自転車で新居浜に行きよった。西条から新居浜に行こうと思ったら、海岸線しかなかった。いま、きれいに道が通ったけど、仏崎にお堂が建っとんよね。いまの住友金属鉱山磯浦工場のあたり、ちょっと山のところに。新居浜から西条に行きよったら右側。そこにお堂があるんよ。その下に道があったんよ。

交通の難所だった仏崎。現在ほど街灯もなかった時代の隘路で、見通しも利きにくい曲がりくねった道は、「タクシーの後部座席から乗客が消える」「口裂け女が出る」など、当時流行した怪談都市伝説の影響もあり、「おばけが出そう」と多くの人に認識されていたようです。

いっときね、「口裂け女」というのが流行ってね。それが相当な話題になって。昭和40年代ですよ。いまでも仏崎を通るときに「ああ、ここおばけが出るって言いよったなあ」って思いますもん。最後の、しゅーっと降りるところ。タクシーが人乗せたと思ったら、後ろ見たらおらんくて、調べてみたら席が濡れとった、というのが新聞にも載ってた気がするもん。バスもよく事故してたよね。全部、くねくね道だったから。すごかったもんね。新居浜行くの恐怖、みたいな。名前自体がちょっと、怖い感じで。だから、口裂け女が出たり、タクシー乗せたはずが濡れとった、という話が出たりね。懐かしいですね。

このような都市伝説的な怖さは、夜のイメージ。では昼間は怖くないかというとそうではなくて、自動車が普及しはじめた頃の未舗装くねくね道は、それだけでドライバーや同乗者の恐怖を掻き立てたようです。
次に紹介するのは、西条から家族で「別子大丸」に行った時の思い出話。「別子大丸」は、いまの「フレッシュバリュー西原店」のところにあった百貨店です。当時は西条にも百貨店が何店舗かあったようですが、「ここぞというときの買い物は別子大丸」と多くの西条市民にも認識されていたようで、新居浜市民だけでなく、仏崎を越えて多くの西条市民もこの「別子大丸」に集っていたようです。

「別子大丸」行くときなんかは、海沿いを行くんだけど、もちろん舗装されてなくて、必ず乗り物酔いで。新居浜まで行くのに必ず酔ってましたね。だから決死の覚悟で。車にエアコンもついてないから、もうね、窓を全開にして、酔いながら行きよった。

家族で楽しい百貨店へのお出かけ。のはずが、くねくね道の仏崎を経由するために「決死の覚悟」のお出かけになったという当時。車の窓を全開にするというのも、いまのようなパワーウインドウではなく、小さなハンドルをくるくるとせわしなく回す方法でした。

今では、新居浜と西条の市境付近は「産業道路」と呼ばれ、片側2車線の広々とした道路の様子からは往時の雰囲気を感じ取ることはできませんが、通行時にはぜひ、かつての「仏崎」とのギャップを感じていただければと思います。

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