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モータリゼーションの時代―ちょっとダベりに、かみへそ。

昭和30年代中盤になると、トヨタの「パブリカ」や「コロナ」、日産の「サニー」や「ダットサン210」、富士重工の「スバル360」など、大衆車と呼ばれるような家庭用乗用車が各メーカーから次々と発売されます。「マイカー」という和製英語も、1961(昭和36)年に登場し普及。昭和40年代に入ると、それまで「洗濯機」「冷蔵庫」「白黒テレビ」とされてきた‘家庭の三種の神器’は「カー」「クーラー」「カラーテレビ」の「3C」に代わり、庶民にとっては高嶺の花だった自動車が、好景気の後押しもあって急速に普及していく時代を迎えます。
1970年代や1980年代に青春時代を過ごした若者にとっても、自らの行動範囲を広げてくれる自動車は、憧れの存在でした。

我々のころは、給料のほとんどを車のローン代にしていたやつがけっこうおった。就職2年やそこらで、当時高級車だったスカイラインとかをポッと買うやつもおった。内情を聞いてみると、給料のほとんどをローンにする。食っていくのは親のスネ。それくらい、車に対するあこがれが強かった。それを叶えるためには、ちょっとの苦労や我慢は厭わない。
高校卒業して間もない子とかが、改造車とか、セドリックとか、クラウンとかをシャコタンにして、走らしてたんが、多かったよね。あのころは、車が命みたいな。車にお金をかけまくって、ガソリン代がなくて走らせれない、とか情けないのもおったりね。いい車乗って女の子引っ掛けて、ドライブ行って、という。田舎の場合は必需品ですから。彼女を迎えにいくのも、電車じゃあねえ。自転車なんてもってのほか。車がないと、彼女を連れて行けんだろう、と。昔も軽四はあったけど、軽四じゃあねえ。車は、大きいほどいいわけよ。

多くの人たちが、特に多くの男性たちがこのように異口同音に口にする、自動車の所有欲。異性への「モテ」も相当に意識して、やっとのことで自動車を手にした彼らが、愛車を飛ばして向かう先は―

『雷のへそ』。僕らが、大学行って車乗り出して、新居浜からドライブするって言ったら、ちょうどいい距離なのよ、宇摩で。で、ここは深夜までやってるから、ここ行って、ぶらっとして、帰る。学生だったら、夏休みに帰省した時に、夜ぶらっと行くと。だから、デートと言うよりも、男の友達と車を流していく。みたいな感じのほうが、『へそ』は強かったね。学生のころ、休みに帰省してドライブ行くって言ったら、だいたいここだったかな。『へそ』は、小腹が空いたら行く感じ。か、ダベりに行く感じ。行くところないから、行こうか、みたいな。遅くまで開いてるし。24時間営業ではなかった気がするけど、深夜までやってたイメージ。

自動車への憧れとほぼセットで登場するのが、新居浜からドライブすると「ちょうどいい距離にあった」という、この『雷のへそ』。略して「かみへそ」。新居浜から三島方面に向かう国道沿いにあった喫茶店です。

『雷のへそ』、かみへそ!噂が聞こえてきてたわ、おしゃれだって。11号沿いにあったんよ。このマッチの柄もそうだけど、灰皿もねえ、雷みたいに、ぼこぼこ、オリジナルで、凝ってたねえ。あそこすごいよって噂が立つんよ。そういうの聞くと、興味を持つでしょ。あそこ行っとかないとって。行っとかんといかんのんじゃないか、という強迫観念でね。『雷のへそ』は、ファミリーレストランが喫茶店になってる感じ。ポップな感じだったね。かかってる音楽も、ジャズとかじゃなくてポップミュージックな感じ。

現代のように、携帯電話やインターネットは普及していない時代に、口コミを頼りに若者のメッカとなっていた『雷のへそ』。デートと言うよりも同性と一緒にダベりに行く場所、というポップな雰囲気は、マッチのデザインからも見て取れます。

2000年代に入ると「若者の車離れ」や「カーシェアリング」がさかんに言われるなど、人々と自動車の関係も変化してきています。「ちょっとダベりに喫茶店へ」というのも、SNSやメッセージアプリで済んでしまう時代。異口同音に『雷のへそ』について話す彼らのことばの裏には、戻れないと分かっていながら感じる、‘あの頃’への憧憬があるのかもしれません。

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