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‘明るいお店’の高校生―西条の名店・純喫茶ドリップの話

多くの高校生にとって昭和時代の喫茶店は、出入りしているのが見つかると先生に叱られてしまうような、オトナな雰囲気の漂う存在でした。それは、「喫茶店=たばこ」というイメージだったり、「悪書追放!」と教育現場から敵視されるような成人雑誌が配架してあったりと「教育上よろしくない!」というイメージが支配的だったためでした。
それでもなお、少しでも背伸びをしたい、オトナのように振舞いたい、とする高校生たちは、先生の目を盗んで喫茶店に通っていたようです。
2012年に惜しまれつつ休業した西条の老舗『純喫茶ドリップ』も、そのようなお店の一つでした。

『ドリップ』はね、私らが、高校、中学のころにできたと思いますね。けっこう早かったですよ。
昭和30年にはできてた。西条では最初くらいの。『ドリップ』と『モカ』くらいしかなかったんよ。でもあそこ行ったら、先生の補導に引っかかる、って言われとったから、近づかんかったんよね。

「あそこにいくと、先生の補導の引っかかる」と言われた『ドリップ』も、時代がやや下ると、少しだけ高校生が通いやすいお店になったようです。

学校の先生に言わしたら、許可しとるわけじゃない、暗黙の了解じゃ、というんだろうけど。我々もよく、『ドリップ』は行きよった。で、『ドリップ』なんかも、学校の帰りには行くな、という指示はされてたけど、学生はよく行きよったね。鞄持っては行くなよ、と。たぶんね、制服着て行ったらだめやけど、家帰って私服で行くのは別に、学校が感知するところじゃなかったんじゃないかなあ…
喫茶店でもね、明るさまで測りに来よったからね。学校の先生がよ。何ルクス、とかって。よく言われてたよね。暗すぎるいうて。間接照明がいかん、いうて。そのころは、第二照明だ、第三照明だとか、ちょっと暗いのはいかん、とかね。『ドリップ』がぎりぎりだったんよね。あの明るさが。

「学校帰りには行くなよ」という指示の下で、高校生が通うこと自体は禁止されていない、と当時の高校生たちには感じられていた『純喫茶ドリップ』。
インタビュー中に登場した「第二照明」「第三照明」ということばは、明確になにを指すかは分かりませんでしたが、このころ家庭用照明が「第二世代=白熱電球」から「第三世代=蛍光灯」へと工業的に進化普及する過渡期だったことを考えると、この世代交代が念頭にあることばと見るのが妥当でしょう。ちなみに今はLED全盛の「第四世代」の時代です。
ともあれ『ドリップ』は、高校生が入るにも‘十分に明るいお店’と認知され、先生の目を気にしながらも高校生たちも通う名店となっていきます。
しかしながら、運悪く(?)先生に見つかってしまう高校生もちらほらいました。

そのころの先生はね、こら、とは言わなかった。おい、ええかげんにしとけよ、くらい。
やっぱり、先生も‘さむらい’が多かった。肩たたいて、おい、よそに行ってはたばこ吸うなよ、という感じ。松山行って、繁華街におったら、よその警察官はお前らのことは知らんのやけん、ちゃんと補導するんやけん、の、そうされたら、学校としては処分せざるを得んじゃない。でも、西条でたばこ吸うくらいやったら、内々のことになるから、いうて。
あのころ、コーヒーはちょっと高かった。60円とか80円で。高校生は親のすねかじりやけど、先生にしてみたら、その60円や80円いうのは、やっぱり補導する先生は若い先生が多いから、給料の割合からすると多いでしょ。補導するためには喫茶店に入らないといけない。でも、喫茶店に入ったら絶対まあ、コーヒーは頼まないといけない、それがもったいない。
我々が吸いよったたばこは、「ハイライト」とか「ソフトピース」とかを吸いよったんやけど、そういう先生たちが吸いよんのは、「しんせい」とか「ゴールデンバット」とか「いこい」とか、安いやつやったんよ。

ジェームス・ディーンやアラン・ドロンなど銀幕スターの影響を受け、「高校生になってたばこ一回も吸ったことない、というの聞いたら、気持ち悪かったよ。逆に。」というような、良くも悪くもおおらかな時代。「ええかげんにしとけよ」という、文章にするだけではおおらか過ぎるように見えるその指導はしかし、そのような先生たちの姿を「さむらい」と形容する生徒と先生の信頼関係あってこそ。「悪ぶりたい、かっこつけたい」という生徒たちの背伸びしたい思惑をすべて見透かした上でのことでした。

今では鉄板ナポリタンを看板とする名店として認知されている『ドリップ』。当時の高校生たちにとってはこのように、先生の目を気にしながら通う、すこしオトナなお店でした。

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