展示を振り返って ―無名という名の鉱脈のはなし

2022年3月6日(日)を最終日として「マッチのあった青春時代 わたしたちの思い出展」は終了いたしました。平日、休日問わず、たくさんの方々が長い時間足を止めてマッチに見入っている様子で、主催者としても非常にうれしい気持ちです。

多くのマスコミの方にも取材していただく機会を得て、さまざまなご意見や質問をお受けしました。だいたい最初に質問されるのは、「この展示で、なにを感じ取ってもらいたいか」という企画意図のようなものでした。

それに対する答えは「マッチそれ自体のデザインの豊かさ・面白さはもちろん、マッチをきっかけに語られる昭和時代の新居浜・西条のいろいろなエピソードをとおして、或る年代には懐かしく、或る年代には新鮮に、昭和時代の新居浜・西条の情景を感じていただきたい。」という感じかなと思うのですが、もちろん、主催者としてはもっともっと、思うところがあります。

例えば、非常に唐突ですが、今から50年後くらいの「社会科」の教科書のことを考えてみます。
そこにはおそらく、「2020年代前半には、COVID-19という感染症が世界的に大流行し、日本でも多くの感染者や死者が出た。内閣総理大臣や都道府県知事から、たびたび緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が発出され、人々の生活は大きく制限された。人々はマスクの着用や、ソーシャルディスタンスの確保など、さまざまな感染症対策を講じた。」という内容が掲載されると容易に想像できます。
しかしながら、この教科書の記述では過去のこととなっている「コロナ禍」の今を生きる私たちは、このように端的にまとめた文章以上に、「今」に対して敏感に生きています。

たとえば、酒類を提供する飲食店は午後9時で閉店したこと。
テレビでは一時期、多くの芸能人が自宅などからリモート出演し、その後「マウスガード」をつけて出演する姿が目立ち、さらにその後にはアクリルのパーテーションで仕切られて出演するようになったこと。
リモート飲み会や、リモート帰省が流行ったこと。
国がマスクを配布したこと。それを批判的にとらえる人が多かったこと。
感染者数の爆発的な増減に、あまり私たちが動じなくなったこと。
志村けんが死んだこと。

「COVID-19が流行った」という社会的な事実の裏には、その事実の中で個別具体的に生きる人々がいて、それぞれが何かを感じ、何かを心に留めている。大げさに言えば、わたしたちがこの展示で考えたかったのは、時代の潮流の中で歴史的には’無名’な人々が感じ、心に留めた「何か」だと思っています。

科学の方法としての「社会調査」について、信頼性と妥当性、が言われることがあります。

「信頼性」とは文字通り、その調査結果がどの程度、信頼のおけるものかということです。
50人に聞きました。年収の平均は400万円で、貯蓄の平均は1,000万円、平均の睡眠時間は6時間で、92%の人がスマホを持っています、うんぬん…
5,000人に聞きました。年収の平均は412万円で、貯蓄の平均は1,105万円、平均の睡眠時間は5.72時間、うんぬん…
数値はもちろんデタラメですが、調査の母数が多いほど、平均値として実態に近づいていく可能性が高いことは容易に想像できます。信頼性は、母数からの抽出方法にもよりますが、調査数の多寡に基本的には比例します。

一方の「妥当性」は、調査の結果あらわれてくる情報が、個々の事例にどれだけ当てはまっているか、ということです。
上の例で言うと、「信頼性の高い」調査の結果現れてくる「平均的な日本人像」を兼ね備えた日本人がどれだけいるか、つまり個々の日本人である「私」に、その平均的日本人像はどれだけ当てはまってくるか。
もちろん、一つくらいは平均値と「私」とでは近似値があるかもしれませんが、おそらく「平均的な日本人像」はその「信頼性」にも関わらず、私たち個々とはかけ離れた、私たち個々にとってはほとんど「虚像」だと思うのです。
妥当性というのはこのように、ある調査結果と個々の調査対象との「距離」を考えます。

その意味で、教科書や一般的な歴史書に書かれている歴史の多くは、論調の偏向の問題は度外視するとして、「信頼性の高い」情報です。
しかし、私たちが生きた時間という意味での「歴史」からすると、「妥当性の低い」歴史だと思うのです。

時代という大きな時流の中で見たり聞いたり感じたりした、もっともっと語りたい「歴史」が、個別具体的にある。
私たちがこの「マッチのあった青春時代 わたしたちの思い出展」で取り上げ考えたかったのは、この「妥当性の高い歴史」と、その価値です。
おそらくそれは、著名人のそれでなければほとんど蓄積されることのない、多少の蓄積があったとしてもすぐに埋もれてしまう、歴史です。そしてもしかすると、全国的・全世代的には「信頼性のない」歴史かもしれません。
しかし、ある場所の、ある同時代人たちにとって大きな共感をもって受け止められるであろうこのような「妥当性の高い歴史」こそ、地域密着を旨とする展示で語られるべき、探られるべきものだと感じています。

マッチを入り口として様々な方に語っていただいた思い出は、このような蓄積のほんの一歩に過ぎません。これからも場所を変え、世代を変え、語るためのきっかけを変え、多種多様に語られ、蓄積されていくべきものだと感じます。
無名であるがゆえに探究・蓄積されてこなかった、無名という名の鉱脈。私たちはその広さと深さを、今回の展示を通じて改めて確認することができたと思っています。
ほんとうに、ありがとうございました。

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