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【note限定エピソード】ある文学青年と喫茶店―わざわざジャズ喫茶で、わざわざ大江健三郎。

たとえば電車の車内。もしくは喫茶店の店内。多くの人たちが、手に持ったスマートフォンに黙々と視線を落としています。
ニュースサイトなどを見ている人。ゲームをしている人。メッセージのやりとりをしている人。手元の端末を通じて様々なことができる時代です。電子書籍を読んでいるという人もいるでしょう。個人的には、そういうところで文庫本を読んでいる人を見るとホッとしてしまうのですが、「書籍」と聞いてまず紙媒体を思い浮かべるのは、もう時代遅れなのかもしれません。
ともあれ、この展示で取り上げている昭和時代の「書籍」と言えば、もちろん紙一択。
今回の主役は、新居浜市八幡で「Woody Bar チュー太郎」と「酒の宝島」を経営している河端泰男さん。今でもたくさんの本を「チュー太郎」の店内に並べている現役の‘文学青年’です。彼の文学遍歴については後に触れるとして、まず紹介するのは彼の人生最初の喫茶店体験。それは、「別子大丸」の近くの純喫茶でのことでした。

わたしが一番最初に行った喫茶店は、小学校5年か6年のころ、叔父に連れられて行ったんですよ。叔父は大阪で暮らしていて、当時20代なかばかなあ。「一緒にコーヒー飲みにいくか」って。で、当時大丸のちょっと東に、店名覚えてないけど、「純喫茶」があった。
私のイメージでは、「喫茶」よりも「純喫茶」のほうがオトナな雰囲気があったの。すこし薄暗い感じで。熱帯魚のおる水槽があって、マスターがおって。小学生だから余計感じたのかもしれないけど、ざわっとする感じがあった。「こんなとこ、入ってもいいんだろうか」と。だから、純喫茶のほうが「すげえな」という感じがあった。そこで叔父が、大阪の人だから「冷コー!」と言うわけ。それもかっこいいなあと。

この「冷コー!」体験から約10年後。河端さんは学生時代と、帰郷して家業を継ぐ前の修行時代の数年間を、東京で過ごしました。

あるテレビ局の近くの、すし屋でバイトをしてたんよ。で、そのすし屋の近くの喫茶店で、バイト前にいろいろ一服してた。芸能人がなんぼでもおったね。宇崎竜童とか感動したなあ。
そのすし屋のあるビルが、テレビ局の真ん前にあって。その地下がすし屋で、1階が『不二家』で、2階が『ヘンリーアフリカ』という喫茶レストランだった。そこがとてもおしゃれで。カウンターに座ると、カウンターの目の上の高さくらいに、電車が走ってる。模型の汽車が走ってる。私はそこで、よく読書をしてましたね。学校終わって、その足でバイト行って、バイトの入り時間まで、大江健三郎を読んでましたねえ。大江健三郎読みながら「分からん、分からん」ってねえ。

愛媛県内子町出身で、文壇デビュー当初から芥川賞受賞作『飼育』をはじめとした話題作を発表しつづける大江健三郎さん。日本人史上二人目のノーベル文学賞受賞者で、戦後日本を代表する作家です。
そんな大江健三郎の作品に没頭する、学生当時の河端さん。その真意は、文学作品の魅力とはやや違ったところにあったようです。

ジャズ喫茶でね。こんな、どでかいウーハーの真ん前に座るわけですよ。照明も薄暗くてね。がんがん音楽がかかるんですよ。うるさいなあ、と思いながら大江健三郎とスタインベックを読んでましたね。それが、高円寺の『アウトバック』というお店でした。薄暗い、ジャズ喫茶が好きでしたね。
(読んでたのが、大江健三郎だったのは何でですか。)
それは、大江健三郎くらい読破しなければ、文学青年ではないと思ってたから。義務感よ、義務感。大江健三郎は、義務感でないと読めない。だって、分からんもん。分からん、分からん、と言いながら読んでたんだから。じめっとしてましたしね。
しかも読んでるのは、文庫本でなければならない。単行本じゃ、ダメなんですよね。単行本は読みやすいからええけど、我々の感覚からすると、ハイソすぎる。文庫本みたいに、安価な書物じゃないと、生活に溶け込んでない気がするんです。いまはもっぱら単行本ですけどね。

「義務感でないと読めない」というのはもちろん「個人の感想です」と注釈が必要なのですが、文学青年としての矜持が伺える、大江文学へのこだわり。

わたしの一番好きなドラマでね、『前略おふくろ様(日本テレビ・1975年放送)』っていうのがあってね。ショーケン(萩原健一)が主演の。その中に、「俺だって、大江健三郎くらい読むし!」っていう感じのセリフが出てくるんですよ。「おれだって、文化的なことだってやるんだぞ、大江健三郎だって読むし」みたいな感じで。ああ、ここで大江健三郎が出てくるのか、と。それくらい、大江健三郎は特殊な作家。当時は「いまをときめく作家」ということで、読むべき本ということでは、一等でしたね。
なんか、自分に酔ってたんでしょうねえ。さっきも言ったように、どでかいウーハーの真ん前で、読むんですよ。耳鳴りがしてるんです。うるさいわあって。だけど、わざわざ陣取るんです。どでかいウーハーの前に。薄暗いのに。こうやって目を近づけないと、読めないのに。でも、そういうことをする自分に酔ってたんですね。

わざわざジャズ喫茶で読書をする当時の自分を「自分に酔ってた」と回顧する河端さん。今でもお店が休みの時には喫茶店に本を読みに行くことも多いという彼はなぜ、こんなにも喫茶店に魅了されるのか―

孤独でもいいんだけど、周りに人がおったら、それだけでちょっと気分が和むというか。
ほんとの孤独は嫌いですから。孤高ではありたいけど、孤独には耐えられない。だから、喫茶店に行くんじゃないかなあと思いますね。

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