幸せの前借り(仮)
1
どうしようもなく夏だった。
7日間の命が精一杯の炎を燃やし、情緒と共に夏のメロディを奏でる。耳に流れるそのクインテットは人間様からすりゃあ不愉快な不協和音だ。
家を出ると、目の前には絵の具で描いたような青一面の空に積乱雲がモクモクと立ち上っていた。
顔を出したばかりのお天道様は有り余る力の全てを紫外線へと変換。これがまたしても人間様を苦しめる。公園の遊具は熱にやられどれもこれも遊ぶどころか触れられやしないだろう。
「あっちい。」
空っぽのランドセルを背負いながら1人でにつぶやいた。
湿った重い倦怠感とやけに軽いランドセル。一歩一歩と足を進める度に日焼けでめくれ上がった背中が体操服と擦れ、忌まわしさを一点に集中させる。
右手を上から無理やり背中へと伸ばし、不愉快の根源を探す。
届きそうで届かないその距離にしばらく葛藤し、体はさらに汗ばんでくる。
まだまだ太陽には勝てそうもない。
この時期テレビから聴こえる流行りのミュージックはいやにポップで、とあるフレーズでは「夏ってだけでキラキラしている」なんぞとおっしゃっていた。
そんなわけがないだろうに。
良いと悪いはいつも背中合わせで、
こちらが投げた石は、受け取られた途端に宝となり、投げ返された宝は、石となり手元に戻ってくる。未来永劫分かりあうことない不毛なキャッチボールなのだ。
「暑い・だるい・虫多い」は彼らのフィルターを通すと「青春! ・青春! ・青春!」と変換されるのだろう。
生き生きとした緑が7月の風に泳ぐ。
全く歯の立たない夏の始まりを告げていた。
敗者らしく、勝者にこうべ垂れ、ふと電柱の足元を見ると、
それはあった。
ベーコンでも置けば綺麗に焼き上がってしまいそうな熱のこもるアスファルトの上に、
それはあった。
電柱とは糞とガムの掃き溜めでしかないというのが9年間ここで生きてきた私の真理である。それだけにその光景にやけに異様なものだった。
いや、いんや、これはきっとどの場所に存在しても違和感を感じるシーンである。
確かにそこにはある。
習いたての歴史の教科書でいかにもセンターを飾っていそうな髭面のお偉いさんがいて、コーヒーを滲ませたような特有の黄金を放ち、横には1000という文字が書かれている。
そうだよな。
身長130センチにも満たないこの体でもよくわかる。よく見てる。よく知ってる。
これはあれだ、
お金だ。
空には航空機が泳いでいる。青色のキャンパスに美しい白線を描きながら地上を鳴らし、蝉の声はかき消されていた。
ああ
どうしようもなく夏だった。
小学3年生、9歳、夏
1000円札
見つけた。
2
街中を巡回するパトカーはどうしてあんなにも無類の恐怖を私たちに投げつけてくるのだろう。清廉潔白なはずの私たちは、パトカーを見かけるだけで、もしかしたら何か悪いことをしたのかもしれないという容疑者の気持ちを盛り込まれる。
実はパトカーは元々真っ黒で、私たちに邪悪な嫌疑を飛ばしているから白黒カラーを保っていられるんじゃないか、なーんて思うんだ。
1000円札に出くわした私はちょうど似たような被害を受けた。
突然悪いことをした気分になり、首をキョロキョロと動かしては辺りを見渡す。その動作が不審さに勢いを付け、私は居ても立っても居られなくなっていた。
胸が波打ち、手が震える。足が地面を強く蹴り上げ、私は走り出していた。わずかな高揚感を握りしめ。
いつのまにか背中の痒みは消え去っていた。
私の小学校では、児童の安全面から集団登校が義務付けされていた。約10名の子どもが2列に並び、前と後ろには上級生が位置する。
集合場所は通っていた保育園だ。
山に囲まれたルーラル地域の特性か、急傾斜の坂道に立地するそれはどうにもおさまりが悪い。
待ち合わせ場所へと一直線に坂道を駆け降りるなか、よく知った姿が一軒家から飛び出した。テカリの消えたランドセルからその走り方、後ろ姿まで、全てよく知っている。
田舎に住んでいると住まいが近く、同じ歳同じ性別の人物は僅少だ。こういった人間を、将来幼馴染と呼ぶことになるのだろうと何と無しに感じていた。
“雄也”はそれに該当する人間である。
1人で抱えるには手が足りず、ポッケに収まりきらないトピックを握りしめていた私はこのうわずった感情を誰かと分かち合いたくあった。
うってつけの共有者を発見し、駆ける足には一層力が入る。
過ぎ去る場景を横目に、下り坂は足を、高揚感を加速させた。
セミの鳴らすハーモニーの中で狂的な靴音が雄也の耳を鳴らす。
振り返った彼は普段と変わらず、小学3年生にしては端麗なフェイスで私に声をかけた。
「おはよ!どうしたの!」
私の足に合わせ、走りながら会話を進める。
「あのさ!やべえよ!1000円札落ちてた!」
「え!それどうしたの!」
「どうしたのって?」
雄也が足を止める。
「その1000円!!今どこにあんの!?」
少し遅れて足を止めた私は振り返りながら言った。
「そりゃ、そのまま電柱の下にあるよ」
「馬鹿か!取らんでどうするだ!」
雄也は迷いなく体を旋回し、そのまま坂道を駆け上っていった。
走りながら私を振り返る。ついてこいよという合図のようだ。
そういえばこいつは私が自らに課すモラリティーというストッパーを悉く剥ぎ取るような男であった。
集団登校の集合時間には基本的に遅れて行き、昼休みにはサッカーに夢中になり、戻ろうという私の声にガン無視をキめ授業を大幅に遅れさせたのち、共にグラウンドを10周させられた。
帰り道には雄也の拾ってきたエロ本を2人で読み漁った。何も知らない私は男性の陰部を咥える女性の姿を見て、頭のおかしい人間もいるものだと思っていた。
彼は依然駆け上りながら叫び声混じりで私に言った。
「1000円あったらさ!
俺ら何でもできるじゃん!!!」
人を動かす力をリーダーシップとするのなら、こいつはヒトラーにでもなれるだろう。
分け与えた高揚感は何倍にもなって私の元へ返ってきた。
路傍のお宅では大型犬が今にも身を乗り出しそうな勢いでフェンスに前脚を掛け、私に吠えている。
常々煩わしさを感じていたそれは、今日だけはどうも違うらしい。
今の私は犬語すら理解ができる。あれはきっとエールだ。我々に向けた応援歌だ。
「早くこいよ!飛んでっちゃうぞ!」
随分と遠くへ走っていた雄也が叫んでいる。
上映前、映画館のライトが徐々に消されるように、私の中で何かが始まると予感していた。
私は甲子園のマウンドから客席の歓声に応えるかのように応援員、いや応援犬に高々と拳を掲げた。
任せろよ。
とんと小さくなっていた雄也の背中。
足を進め顔を上げると絵の具の空には先程よりも大きく寛大な雲が、空を、私たちを包み込むようであった。
前言撤回、
今日はもしかしたらキラキラしているかもしれない。
風をきり、少しだけ夏を感じていた。
3
さて、本日の私は最強である。
占いはきっと水瓶座が一位だ。
見なくてもわかる。
今日の夜ご飯はきっと大好きなハンバーグだ。
未来まで予想できる。
昨日やった算数のテストは100点にしておこう。
過去まで変えられる(無理)。
怒り狂った担任も、いつもは威張っているガキ大将も、
本日の私には敵わないのである。
なぜなら私はいま1000円札を持っているのだから。
小学校についた私は、席につくやいなや不敵な笑みを浮かべていた。
周りに気づかれぬよう慌てて普段通りを演じてみるも、その顔がいっそう不気味なものにさせていた気がする。
いつも通りの学校に、いつも通りの授業。
その中で私は心中穏やかではなかった。
世紀の大泥棒が現れこの財宝をいつ盗んでいくやもわからない。
ポッケに入れるのも憚られランドセルの奥底に押しやっていた1000円札を授業中何度も確認しては、ごまかしに我が物顔で鉛筆を削った。
15時の鐘が釈放を告げる。
さあさあ、学校は終われば我々だけの正義だ。
3kmもある通学路、
田んぼ、田んぼ、田んぼ、ひとつ川を挟んで、田んぼ。
カエルに手を振り、ザリガニと踊り、トンボとかけっこをしたら、
ただいまマイホーム。
ランドセルをひゅーん、サンダルに履き替えぴょーん、チャリに身を委ね、下り坂をびゅーーーん。
今日はこのまま絵の具に溶け込みそうだ。
1000円の使い道については昼休みに会議済みである。
校庭のど真ん中であぐらをかきサッカーボールを真ん中に置いて向かい合い2人で秘密のミーティング。
私が見つけたとはいえ、雄也による悪魔のささやきがなければ、これは手に入っていなかった。2人で使うことにもちろん異論はない。
100万円あったら何するかはなんてことを1度は考えるものの、1000円あったら何をするかにはいかんせん頭を悩ませてしまう。
人間は理想にリアリティを混ぜ込むと、どうにも答えに窮するようだ。
我々の出した答えは至極単純明快、
「おし、ゼータクをしよう!」
向かう先はここらで唯一の駄菓子屋さん。
広大な土地だけが誇りのここらで全くその利点を活かしきれていない約8畳の小さな小さな僕らの憩いの場。
それ以上腰を曲げては逆に辛いのではないかと思われる角度でのっそりと登場するおばちゃんは今日も無口に私たちを迎える。
駄菓子屋お馴染み色温度高めの暖かく優しい光に包まれたそれとは異なり、電球ひとつない暗然たるその空間は、一見さんからすればもっぱら奇奇怪怪なおももちだろう。
日光だけを頼りに店を営んでおられるようですが、ここ日差し全く入りませんよ。しっかりしてくださいおばあちゃん、ちゃんと目開けてくださいおばあちゃん。
入り口をくくれば向かって左手に大きなアイスボックス、正面と右手には壁一面にずらりと駄菓子が並ぶ。
さーてさて、本日はお日柄もよくこちとら金持ちさんの気持ちが整っておるのです。
10円ガムヨーグルト味をとりあえず2個、ヤッターめんをこれも2個、それからうんこグミ、こいつは私のお気に入り、こりゃ奮発4個といっちまえ。
それからそれから、
小さなお菓子に釘付けの私は、背後を通りすぎる異様な空気に遅れて気がついた。
あまりにも慣れたその足取り、軽やかなステップ。シワシワtシャツの表面にはセレブリティの佇まい。この少年はカリスマだ。シャワーの際間違いなくオーラから洗い流すタイプのカリスマだ。
少年は普段目にもしない棚に進んでは、100円コーナーから、なんということだろう、じゃがりことチップスターを手にしていた。
彼は嘲笑うかのようにこちらを振り返り、手に持つお菓子を私にひけらかした。
雄也、お前はとっくに大富豪の気持ちができていたのか。
こちらも負けじと急いで100円コーナーからアーモンドチョコ、150円コーナーからたけのこの里を手にする。
さらにそこから2人ともアイスを加え、
堂々とおばあちゃんに1000円札を見せびらかした。
「んー」
渾身の1000円札にも泰然自若としたその様は、流石お年を召されているだけのことはある。はたまた、ただボケているだけなのか、相変わらず目は開いていない。
おばあちゃんは声にならない声でお釣りを用意し、ゆっくりとゆっくりと我々を見送った。
残り350円。
4
「全部開けちゃえば全部食うしかないでしょ?」
悪魔的な頬笑みを見せた彼につられ、私も構わず豪快な開封をキメた。
木々で埋め尽くされた公園とは名ばかりの「1号公園」
やけに広いその中で唯一の遊具であるブランコを占拠し、菓子箱を全て開封した。
目の前にはチョコ、チョコ、スナック、スナック、アイス、アイス
それから、
パーティーなのにコーラがないから始められないと言う雄也の一声により、
真っ赤な350mlが2本。
残り150円。
いただきますもなしに飛びついた我々は紛れもなくはしゃいでいた。
口に入れたお菓子はいつも通りの味なのに、9年間しか生きていないこの身体にも懐かしさを同封してくるのはきっと今日が特別な1日だからだろう。
今日ならじゃがりことアーモンドだって一緒に食べてしまおう。
パーティーにお母さんはいないからね。
雄也がアーモンドを天高く投げ上げ、それを口に入れる。
真似した私が地面に落とし、3秒ルールで口に入れる。
ただそれだけが面白くて永遠と同じくだりを繰り返す。
笑いとは幾らかのカテゴリに分けられる。ギャグやモノマネ、漫才やコント、下ネタや出オチなど。その中で最も狭く万人に伝わりきらないものがその場にいる者にしかわからない笑いであろう。
温度や空気感、タイミングや声量、目線、身振り、手振り、etc
エピソードトークにしては効力を発揮しきれぬ、その場の笑いというものがある。
これだ。
落としたアーモンドを食べることに少しの面白みもない。
ただあの瞬間は面白くて、これから先思い出したとしてもきっと腹を抱えて笑えるだろう。
「じゃがりことアーモンド一緒に食ったら美味くね!?」
「うんめえ!これは革命が起こりそう。」
「これ売ってたらいいのにな。」
「俺らが作っちゃえばいいんだよ、アーモンドに穴開けて、じゃがりこぶっ刺してさ。」
「『じゃがーモンド』じゃん。」
これもまた然り。
全く面白くない。
ただこの瞬間、この今だけは、軽率に腹筋を崩壊させるに及ぶ効果抜群の一言となる。
いやそうでないかもしれない。
ただ、1000円握りしめた僕らは、この1日を間違いなくはしゃいでいたのだ。
空高く上がったアーモンドを夕日が照らし、
笑い合う僕らを夕焼けが見守る。
楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り、気がつくと青一つだった空にオレンジが馴染んでいた。
「今日楽しかったな。」
足元には空になったクズ物を散布させ、立ち漕ぎのブランコをゆっくりゆっくりと勢いつかせながら、細く小さな声で雄也がそうつぶやいた。
私はこの1日からどこかつまみ上げられた気がした。
今日なんて1000円拾っただけで特段いつもと代わり映えのしない1日だ、ただそれでも1000円拾ったことは私の意味となっている。
それが、そんな1日が今終わろうとしている。
その一言を言うにはまだ早い気がした。
「いやまだだよ。150円残ってるぞ。」
「確かにな〜。」
「なんかしようよ!!」
提案ではない、拒否なのだ。
この1日が終わらないようにとした拒絶なのだ。
楽しい1日はまだ意味を持つはずだ。
お前ならなんか見つけてくれるだろうという信頼でもあった。
「じゃああれだな、」
一呼吸置き、手元に残る小銭を見つめて彼は言った。
「カップ麺食っちゃおうぜ。」
「うん、すぐ行こう!」
急勾配の坂道をチャリンコでゆっくりゆっくりと漕ぎ進める。
あたりには、ちらほらと道を照らす街灯が見え始めた。
到着した酒屋には酒と多少のおつまみが陳列されており、店の隅には申し訳なさそうにひっそりとカップラーメンが売られている。これが私たちの目的の品である。
残りの150円で1番大きなカップ麺を選ぶと、近所にいたら話が長いタイプであろうおばちゃんが出てきた。年は我々の母と変わらないほどだろうか。
「あんたたちこんなん食べたら夜ご飯食べられなくなっちゃうわよ?」
「いいの今日は最強だから。」
首をかしげたおばちゃんには大富豪の気持ちはわからないだろう、分からなくていいのだ。
長々となる前に我々は店の外へ出た。
すぐ隣の長い長い階段てっぺんに腰を掛け、我々のこぎ進めた坂道を見下ろすと目の前にはオレンジの空が広がっていた。
わずかな力を振り絞り、精一杯空を輝かせていた太陽がまもなくその姿を隠す。
泣きそうな顔をしているそれに、今日1日のお別れを告げた。永遠のさようなら。
「夜ご飯ほんとに食べられるかな。」
カップ麺を啜りながら私は尋ねた。ひと啜り終えたところでそれを雄也に渡す。
「そんなの夜ご飯の時に考えようぜ。」
カップ麺を受け取りながら頬笑み混じりにそうつぶやいた。
その言葉通りに豪快に麺を啜る音がやけに響く。
「確かにそうだ。」
相槌を打ちながら、私の心は遠くに見える街の風景に包まれていた。
電車が走っている。街と街をすり抜けて、なにもないこの街にただいまを告げるその身体を運ぶ。
「今日も楽しかったな。」
「うん楽しかった。」
今日この1日をきっと忘れないと思った。
家に帰るとお風呂上がりの匂いと晩御飯の匂いが一気に飛び込み、突如日常に戻ってきた気がした。
あんなに豪遊したあとでもお腹は空くものである。
今日の晩御飯は野菜炒めだ。
「ご飯の前に早くお風呂入っちゃいなさいよ。」
言われなくてもわかっている母親の一言が特別を日常に転換させる。こんな日でも日常は当たり前にやってきて、洗っても洗っても取り除けない汚れみたいで、落とすのも面倒で、ただそんなものを少しは可愛がってあげようかなんてそんな偉そうなことを考えてみたりして。
足音だけを響かせ、洗濯機に本日の全てを投げ込むと、静けさ纏う洗面台に金属音が挨拶をしてくる。
ああ、カップラーメンが130円だったから私と雄也で10円ずつ持ち帰ることにしたんだった。
ポケットには10円玉がいた。
ただそこにいた。
明日はこれでうんこグミでも買おうか。
39℃のシャワーを浴びて、
そんなことを思っていた。
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どうしようもなく、長い夢を見ていた。
頼りない左手で携帯を探すと遅延の知らせでいっぱいになったホーム画面に照らされ、急いで支度を始めた。
昨晩の豪雨の影響で小田急線運転見合わせが続く。
「なんで今日に限ってなんだよ」
YouTubeさんから慣れないネクタイを結んでもらい、鏡になけなしのしょーもない怒りをぶつける。
就職活動も佳境を迎えていた私は本日行きたくもない会社の最終面接に心張り詰めていた。
こんなにも精神を擦り切らせて得られるものが働く権利などとはこの国はなんとも皮肉めいている。
まあでもこんなもんか。
慌ただしく、携帯でレンタカーを予約し、本日の最終面接へと足を運ぶ。
玄関前で最後の身なり確認。
純白のワイシャツ、黒光の革靴、レジメンタルのネクタイ、手持ちカバンにジャケットを添えて。
今日も就活のフルコースは文句なしの星5つ。
「こんなの俺じゃねえよ」
ネクタイをより一層固く結び、玄関を開けると、昨日の雨が嘘のように夏が迎えられていた。
シャッフルで流した音楽からは
高音のシンセサイザーが鳴り響き、命を削った歌声が車内を満たしていく。
尾崎豊のアルバム『壊れた扉から』のリードシングル『路上のルール』。
どれだけの名曲を耳に入れても流れ込んでくるのはアーティストと比較した自らの劣等感だけだ。
あの頃1000円有ればなんだってできると思っていた。
あれから13年。進路、将来、夢。訪れる様々な岐路から目を背け、逃げて、逃げて、逃げて、それなのに何故か走っていることだけを誇りに思っていた。
目の前に現れるモンスターと戦うこともせず、戦う剣すら持ち合わせておらず、逃げて、逃げて、逃げて、追いかけてくる妖怪はいつのまにか僕を追いかけなくなっていた。
気づいたら何もなかったんだ。
あの頃1000円有ればなんだってできると思っていた。
今の僕を見て、こんなはずじゃなかった人生に9歳の私はなんと言ってくれるだろうか。
最寄の高速料金所を抜けると目の前にはあの頃と同じ絵の具の空が浮かび上がっていた。
手を伸ばせば届くかも、
身体を預ければ包まれそうで、
窓を開けてみると、湿った生ぬるい空気が勢いよく車内に吹き込んだ。
いっそ、このままどこか遠くへ、この風と手を繋いでさらってしまおう。
窓から手を伸ばし、そこで気づく。
あっ
反応するよりも先にそれはひらひらと窓の外で宙を舞った。
まあ、
どうでもいいか。
1000円、
飛んでいったみたいだ。
あとがき
これは最後のシーン以外ほぼほぼノンフィクションでして
小3の頃1000円拾ったんですほんとに
あの頃1000円あったらなんでもできる気がして、ほんとにはしゃいでました
じゃがーもんどってほんとに言ってました
母に内緒で食べるカップ麺は特別だったし、あの景色もあの1日も特別で今でもよく覚えています。
そんで最近僕Uberの配達員やってるんですけど、そん時バイク乗ってたら1000円ぶっ飛んでったんですよね
その瞬間小3のこの出来事を思い出して
今1000円失うのちょっと痛いくらいだけど
あの頃1000円持った俺らって最強だったなって
てことは現代の自分から過去の自分へ幸せを前借りしていたんだな
ってなんかその時納得しちゃって
同時にあの時の最強の気持ちとか、今自分の立っている状況とか、忘れていて、思い描いていたものとは違っていて
色々考えちゃいました
ただそんな物語をお話にしたかったんです
ノンフィクションを文字にするのは非常にムズでした
いつもは妄想なのに、実際に頭にある映像を言葉にしなきゃいけなくて
ゲボゲボ言ってました、でも楽しかった。
ここまで読んでくれてありがとうございました
ほんとにありがとう
また書きます
師水
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