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愛する想いを流したい

例えば、このnote。

わぁ~いっぱい書きたいことがあった!
あの思い出も、この想いも!

そうなると、何から手をつけたらいいか
分からなくなることって、ないでしょうか?

私は、よくやってしまうんです…

伝えたい想いが、
流してあげたい想いがあるけれど、
ついつい、面倒くささや、
恥ずかしさによって、諦めてしまう。


・・・

たぶん小学校2年生の頃、

可愛がっていた、仲良しだった
年下の女の子に「あかねちゃん、大好き!」と言ってもらったことがありました。
でも、その頃の私は、自分の気持ちを、
なんと表現したらよいかわからず
口ごもってしまいました。

次に、その女の子は、私の隣にいた友達にも「○○ちゃん、大好き!」と
言いました。
すると、その友達は、「私も大好き!」って
答えました。

”あぁ、いう風に、私も大好き!って伝えたらよかったんだな。。"

そう思ったけど、伝えられず、
今になっても、時々蘇る、
ちょっともどかしい思い出です。


そこから、少しずつ大人になり、
気持ちを伝えようか悩んでは、
勇気をだしたり、できなかったりを繰り返し、
今では、割とのびのび生きれるように、
なってきました。


半年前、

14人のメンバーとタンザニアの村へ
行ってきました。

ツアーを作ってしまうくらい、
私たちが当然好きなアフリカ。

その生活にどっぷり入り、皆がその生活を良いという。

その中で、自分の気持ちを伝えるのは、
勇気がいったでしょう。

でも、最後に1人のメンバーが
「私は、改めて日本も好きだな~と思った。
それを伝えられなくて、苦しかった」と
涙ながらに
伝えてくれたことがありました。

彼女の姿をみて、

自分の愛を、想っているものを、
外へ出してあげられないことは、

人にこんなに我慢させてしまうのか、
苦しくしてしまうのか。

今までの自分の経験と結びついたような
感じがしました。

確かに。。

私に好きなものがあるということを、
認めることにも勇気がいる。

ましてや、それを表現して、
否定されてしまうのは、とっても怖い

でも、
大好きな人に、素直に大好きといえないのは、
辛くて。
自分の好きなものを、隠しておくのも、
苦しい。

だから、愛する想いは、
川の流れのように、
世界へ放してあげたいと思います。

受け取ってもらえても、そうでなくとも。

その愛は、きっとどこかへ
自然に流れつき、
また流れていくものでしょう?


「好き」という瞬きから、情熱へ、
生きる躍動へ。

自由に愛を表現したさきに、
それぞれが、自由に花開いていっている姿は、
カオスであり、なんとユーモアと
生命感に満ちた世界だろう。


***

普段は、保育士としても
働かせもらっていますが、
保育園へ訪れるたびに、びっくりします。

人って、こんなに素直に、
愛を表現するのだと。

こけた子がいたら、よしよしと。
泣いてる子がいたら、その子がいつも使っているおもちゃを届け、
大好きといわんばかりに、ぎゅーーっとする。

子ども達から
「もっと身を任せて愛を
    表現したらいいのに!」

教えてもらう日々です。



自分が大好きな人と場所のなかで、

有難いことに、日々

愛するものが、増えていく。

愛させてもらえることが、
素直に幸せだなぁと思います。




到底、全部は載りきらない。。!

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