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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』。本当に。。なぜ。。。(涙)

https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721312-6


何年か小説の公募も続けて、仕事やSNSで人の書いたものを山ほど読んで、時間を捻出して、とにかく、私は書きたい、書くことで表現したいと思ってきたのだけれど、仕事から帰ってきたら何もできない。家事やって食事・風呂済ませて午後10時11時。昔は1時半ぐらいまで寝ないでできたが、今はとても無理。

書けない。筋トレと同じで書けないともう本当に書けない。机に向かえない。週末ポメラに向かっても出てこない。

書くだけでなく本も読めない。新聞書評で読みたい本は「読書メーター」の「読みたい本」に登録するが登録するだけで終わり、図書館で借りた本は読み切れずに期限が来て返す。月1で届く定期購読の文芸誌も解約してしまった。

このストレスを解消すべく、その名もずばり『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆著、集英社新書)を読んだ(これも通勤電車&寝る前でゆっくりゆっくり、ようやくという感じで読了した…昔なら一気読みできてたのに)

「情報」と「読書」の最も大きな差異は「知識のノイズ性」。教養と呼ばれる古典的な知識や小説のようなフィクションには、こちらが予想していない情報が多分に含まれている。忙しい現代人にはこのノイズ性を楽しむ余力が残されていない。

自分から遠く離れた文脈(ノイズ)に触れることこそが読書である。働きながら、働くこと以外の文脈を取り入れる余裕のある社会こそが健全な社会である。

私たちは自ら仕事を頑張ろうとする社会に生きている。全身全霊で働くこと(およびその賞賛)をやめよう、「全身」でなく「半身」で働こう、「働きながら本を読める社会」を作るために──。そんな内容だった。

知識のノイズが人生に必要なのは本当にそうだ。分かっているのに、確かにスマホばかり見てしまう。『スマホ脳』にも書いてあったが、スマホは次々と刺激的な動画や分かりやすいコンテンツを垂れ流し、人を中毒にしている。わかっちゃいるけど、疲れてクタクタな身には夜、寝る前に文芸誌を開く余裕がない。。。というかスマホ見ちゃう。。。これではいけない。。トホホ。。。

理由は分かったけど、改善には働き方そのものを変える必要があるとも分かった。私が「半身で働く」のは職場の理解がいるし難しい…とか考えちゃだめなんだ。「半身ったら半身!」ぐらいの脳内革命で行くしかない。思えば、休日にゆっくりダラダラ本読んで一日を終えるのはなんだかもったいない気がしてしまうが、それこそが半身精神なのだろう。もったいないと思わないように心がけたい。

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