意識低い系サラリーマンの戯言

「人の役に立ちましょう」「社会の役に立ちましょう」
最早、常識なのかどうかもわからないんですが、この主張はどうも苦手です。

自分の能力をお金に換えることで生活を維持するのがデフォルトな今の社会で、「人の役に立つ」能力は、生物としての強さに大きく影響します。
「人の役に立つのなんてクソくらえだ」というつもりはありませんし、私も人の役に立てたら素直に嬉しいなあと感じます。

ですが、「役に立つことありき」でいることには強い抵抗感を覚えます。
特に、サラリーマンとして働くようになって、より耳にする機会が増えた「市場価値」という言葉。
言葉に罪はありませんけど、「自分の市場価値を確かめよう!高めよう!」といった転職系広告には罪があると思います。重罪です。
市場価値って、人につけちゃダメだと思うんですよね。その瞬間、人がヤ●ダ電機とかに置いてある家電に近い存在になるけど、大丈夫そ?

役に立つものは、いずれ必ず役に立たなくなります。自分の価値を「役に立つ」に委ねきってしまった瞬間、用済みになることが確定演出で起きるんですよ。ホラーでしかないだろ。
繰り返しになりますが、人の役に立つことを否定しているわけではなく、「役に立つことありき」でいるのが危険だと言いたい。
仕事をうまく回せたり、会社で頼りにされたりするときって簡単に自分を肯定できてしまうと思うんですけど、そこに甘えているとその機能が自分から失われたり、よりハイスペックな機能が出現して代替されたりした瞬間、自分の価値が全部失われたように勘違いしてしまうじゃないですか。そんなわけないのにな。
その点私は上記のような事象で自分を肯定できた試しがないんで、正直仕事はもう少しできるようになりたいです!!

だから、少なくとも私は、できるだけ「別に役に立つ訳じゃないんだけど好きなんだよね」ってことをするのに時間や労力を割いていたいです。
こんなことを言っていると、いつか食いっぱぐれてしまうかもしれないんですが、まあそれはその時になったら考えてみよう。
なんだか、この記事が「すっぱい葡萄」になっているような気がして不安になってきましたのでこの辺で終わりにします。

今日も皆さんお疲れ様でした。おやすみなさい!

#1ヶ月書くチャレンジ 「自分があまり賛同できない常識」



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