夏と四畳半にまつわる回顧録

 ここ数年、もしかするとここ10年ほどで、昔懐かしい「あの名作」が何かしらの形で復活を遂げることもさほど珍しくなくなった。
 また作品と作品が時には制作会社の垣根を越えてコラボするようなことも、昔ほど驚かなくなってしまったように感じる。
 そんな中、自分にとって、とても個人的に、飛び上がるほど嬉しく驚くべき作品があった。「四畳半タイムマシンブルース」である。

 この作品は縁あって「サマータイムマシンブルース」と「四畳半神話大系」の2作品が交わった、奇妙な作品であった。自分にとってこの交わりは文字通りの奇跡であり、今の気持ちを書き残したいと思い、この文章を書いている。


 あれはまだ自分が9歳だったころ、自宅のテレビでWOWOWを見ることができた。映画好きの父が契約していたのだ。
 両親はよく好きな映画を録画していたし、自分も一緒になってみることが多かった。そこで出会ったのが「サマータイムマシンブルース」であった。

 先日大学時代の友人と電話で話させてもらったとき「夏好きだよね」と言われて自分でも「そうだった」と思い出した。この「サマータイムマシンブルース」が間違いなくその元凶だ。
 舞台はとある大学のSF研究会。とはいえSF研究など名ばかりで遊んでばかり。その夏も、大学生らしい夏休みをクーラーの冷気と共に満喫していた。しかし偶然の事故でクーラーのリモコンが壊れてしまう。そして突如出現するタイムマシン。一行は壊れる前のリモコンを、過去に行って取って来ようとするが………。
 というのが「サマータイムマシンブルース」の大まかなあらすじだ。(なにぶん10年以上前に見た作品なので、多少の誤差はあると思う)
 これを当時9歳の自分は繰り返して何度も見ていた。ムロツヨシも出ていた。夏休みに自然と湧き上がる根拠なしのエネルギーが、想像に難くない「暑さ」という状況が、物語が終われば自然と「ひと夏の思い出」に収束することが、漠然と好きだった。

 大学二年の5月頃、「サマー」を題にして脚本を書こうとしていた折にふとこの作品のことを思い出し調べたところ、もともとはヨーロッパ企画の舞台ということが分かり、大騒ぎしていた。一人で。

 
 「四畳半神話大系」との出会いは大学二年の9月頃だったと思う。もともと一度、高校生の頃に友人に借りて読んだことがあったが、正直言うとあまり楽しめてはいなかった。ユーモアが足りなかったのだと思う。
 大学もサークルもサボって引きこもっていた当時の自分は本屋で偶然「四畳半神話大系」と再会を果たし、改めて読み返し、初めて読んだ感動を覚えた。翻って、一番人生に大きなダメージを残す方向の感動であった。大学はいかなったがサークルには行くようになった。

 この二つの作品が不思議なめぐりあわせの元、交わり生まれたのが「四畳半タイムマシンブルース」だった。昨年に書籍として発売され、それだけでも幸せだったものを、映画化まで実現され、先週から公開されている。自分の人生に欠かせない二つの媒体もなにもかも違う作品が合わさり一つの作品になっている。登場する人物も、進んでいく物語も、すべてよく知っているのに、全く知らない作品になっている。こんな体験は人生に二度もないだろう。

 今日は平日だが仕事が休みだったので、寒空の中その映画見に行ってきた。ちょっと欲を言えば真夏に見てみたかった気持ちもあるが、本当に不思議で現実味がなくて素晴らしい時間を過ごすことができた。
 実家に帰って母親に「外めっちゃ寒いよ」と言うと「月が綺麗だけどね」と返された。なんだそりゃ

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