戦隊パロは難しい:創作のための戦訓講義21


事例概要

発端

※『五等分の花嫁』作者の作品『戦隊大失格』がアニメ化との報

でも評価は?

※特撮を知る人からの評価は高くない?

※私も一話読んで「なんか違うな」と思って続きを読んでいない。

訴求層が違う?

※特撮パロディとしての浅さが指摘されるが、そもそもパロディを深く追求する作品ではないのではないかという指摘。

パロディとしての特撮の難しさ

※戦隊もので特に個性的、かつ戦隊というフォーマットへの挑戦に自覚的なゼンカイジャー以降の作品と『戦隊大失格』がバッティングしているのが、こうしたパロディの浅さへの指摘に繋がっているかもしれない。

※類似する戦隊パロディに有力な作品があることも問題か。

個人見解

作品についてはさておき

 最初に私自身のスタンスを書いておくと、私は一話を読んだ時点で「なんか違うな」と思って続きを読んでいない。だからアニメ化はむしろ、本作の戦隊パロディがどのように行われているかを確認する機会として期待している部分がある。

 作品そのものの評価についてはここでは避けるとして、戦隊パロディの難しさについて述べるにとどめて、アニメを確認する際のメモにしておく。

パロディの難しさ

 戦隊パロディの難しさはいくつか挙げられるが、そのひとつがスーパー戦隊というフォーマットの漠然とした感覚だ。

 スーパー戦隊の持つイメージが初代のゴレンジャーに集約されず、現代の戦隊ものにおいても一般的なイメージを踏襲しない部分がある。これは同じ特撮ヒーローものでも仮面ライダーシリーズとは明確に異なる点だ。

 仮面ライダーは現在でもバイクに乗り、ベルトで変身し、掛け声が「変身!」で統一されている。玩具を売るという番組目的、バイクアクションの撮影の難しさを加味しても続けているあたりかなり墨守していると言える。一方戦隊ものは巨大ロボ戦すらシリーズ途中から始まり、変身アイテムのモチーフも掛け声もバラバラである。かようにスーパー戦隊シリーズのイメージは漠然としている。

 さらに困難なのは上記ツイートに指摘されているように、スーパー戦隊は自シリーズに対する批判や指摘をかなりシリーズ内で消化しているという点だ。これはライダーシリーズも同じだろうが、シリーズとしての共通イメージの漠然化からくる共通意識の希薄さも相まって、戦隊もののパロディの難しさに拍車をかけている。

戦訓

 作品の実態はアニメで確認するとして、かようにあらかじめ指摘されている点を整理しておくと比較がスムーズである。


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