斜陽国家日本という世界観の可能性:創作のための戦訓講義16
事例概要
発端
ケンガンアシュラ、発表が2012年からなので仕方ないのだが今アニメ化されているのを見ると「俺が日本経済を牛耳ってやるぜ!」という社長勢のノリが完全にお労しいことになっている。作者に責任は一切ないんだけど。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) September 24, 2023
世界観を物語に最適な大きさにしようとすると日本国内の経済で完結してた方が楽だし分かりやすいのはそうなんだけど、いい加減「斜陽国家日本」みたいなノリの作品が出てもいいのかなと思わないでもない。俺は経済は門外漢だからどうやればうまく料理できるか全然分からんが。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) September 24, 2023
特にラノベだと「日本にどかんと学園都市!」みたいな世界観になりがちだけど今の日本経済の感じでそれやろうとするとどうなる? みたいなのは普通に興味あるね。案外今まで通りで済むのか。もう国内経済だけでそんな虚構は成立しなくなっているのか。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) September 24, 2023
補足
ケンガンアシュラ→企業が互いの問題解決のため、格闘技者を戦わせるという設定の作品。特にネットフリックスで公開中のエピソードでは、日本経済界を牛耳るべく多くの企業が暗躍する拳願絶命トーナメントが描かれている。
「日本にどかんと学園都市!」→『とある魔術の禁書目録』のようなイメージ。最近だとアニメ化された『ライアー・ライアー』など。
見解
漠然と、日本という国家の先進性や発展性が無批判に創作の世界で温存されているのではないか、という考えから発展している。最も発端となったケンガンアシュラは発表が2012年からなので、作品にも作者にも批判があるわけではないが。
無論、創作物においてすべてが現実を反映しなければならないというわけではない。そもそも作品において、「日本の経済状況」がそこまで重要ではない場合の方が多い。ならば国内で適当に完結させておいたほうが、作品の情報量を整理する上でも適切ではある。
とはいえ、「斜陽国家日本」という舞台の可能性は検討されてもいいだろう。というより、漠然と現実の状況からずれた世界観を採用し続けることは、場合によっては作品にとってデメリットが生じるかもしれない。現在のように、なんとなくで使える日本の経済状態のデフォルメを構想してみるのもいいかもしれない。
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