そら人を撃ち殺す銃が好きなやつに銃は持たせたくないよなってなる話:創作のための戦訓講義31


事例概要

発端

※日本の銃所持の許可は複雑で地域差すらあるという話。これは銃オタクをしていれば一度くらい聞く話。

それはそう

そういえば

※前に見た銃関係雑誌で、疑似的なストックであるアームブレイズに対する規制に関する記述を見たときのことを思い出した。

個人見解

 銃の所持に関して明朗ではない、というのはそうだろう。だが銃という日本では所持者が少なく、かつ暴力に使用されれば甚大な被害を及ぼすものを為政者があえて明朗に規則を定める理由がないのも事実だ。少ない事例のために規則を弄るのも面倒だし、面倒を押して弄った結果問題が起きても嫌だし、そもそもそうやって市民側の自由を広げる理由が為政者にはない。

 市民の自由をなあなあで縛る、というのは当然批判されるべきことなのだが……。ことが銃となると基本的に市民の自由を擁護するリベラル側の人たちの動きも低調になる。単に興味がないというのもあるし、ミリタリー好きでこうした市民権利に聡く興味のある人間もそういないだろう。割合、ミリタリ趣味とリベラル的政治信条の食い合わせが悪いのは私自身がよく分かっていることだし。

 なにより冒頭で示したように「人を殺す銃が好きなやつに持たせたくない」という「お気持ち」は結構強い。しいて市民の側から自由を獲得しようと動こうという意志が生じにくい。市民運動した結果獲得した銃で撃たれたくないし。

 それはさておき、私は「もし日本が銃社会になったら」という想定で小説を書いたことがある。

 明確に銃所持のルールは作中で示さないものの、ある程度はかっちりと決めたのだが……。こうした話を聞くに「かっちり決めよう」という発想自体がミリタリオタク的だったかもなと思わなくはない。一応作中では「アメリカの銃規制に合わせて新しい市場として日本を開拓した」という設定なのである程度かっちり銃所持のルールを決めるインセンティブはあったものの……。

戦訓

 「ルールを明確にする」ことによる為政者側や市民側の不利益を考えたとき、案外ルールの明確化を望むこと自体が一部オタクだけの発想ということもあるのかもしれない。今後も銃が蔓延する日本という舞台は書くことがあるだろうが、このあたりはまた練り直したい。

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