「お前の創作AIだろ」と言われると対処しづらい話:創作のための戦訓講義42


事例概要

発端

※自身の書いた文章がAIであるという判定を勝手にされた人の呟き。イラストでは既に起き始めていることだが、文章でも起きるとは。

反応

※イラストと違い、タイムラプスなどで残すことも難しい。履歴という手もあるが、それも捏造と言われればおしまいである。

※判定ツールに自作を投げてみる人も。AIだという判定を受けることもあるらしく、ツールそのもの真偽も疑われるところ。

※AIに対し異議申し立てができないという指摘。AI自身の判定に対し異議を述べてもAI自身は責任を負わず、判定を信じた人も責任を逃れようとする。AIというある程度自己判断を下す存在の責任の所在はどこにあるのか。

※生成AIは問題視されやすいが、あらぬ疑いをかけるツールとしてのAIの危険性も。

当時の私見

個人見解

 生成AIの問題が取りざたされるにつれ、そもそも「なぜ問題なのか」という点が捨て置かれ「AIを使用するのは悪」という前提が生じるようになった。そしてネット上においてはこうした「叩いていい存在」は大きな問題に巻き込まれやすい。

 AI判定ツールは他者の創作物をAIであると難癖をつけるのに利用できるツールだ。しかもAIによる創作を嫌う者がその判定にAIを使って責任逃れをするという盛大なギャグも含まれている。

 生成AIに問題があるのは事実だが、「AIによる創作」の価値をどう見積もるのかはさておき、曲がりなりにも何かを生み出す営為であるという点は押さえておきたい。創作が手段か目的かの違いは大きいだろうが、それでも何かを結果的には生みだそうとしている。

 一方、この手の判断系AIの利用はさらに立場を後退し、何も生み出そうとすらしないままただ他人の足を引っ張っているわけだ。しかもその行為の責任をAIに押し付けることまでしている。自分たちはAIを部分的にであれ否定しているのに、責任を負うという一番重く逃れ難い部分をAIに任せようというわけだ。

 さらにこの手の判断系AIの問題は、創作に限らず業務や学業にも大きな影響を及ぼすだろう。大学で自分の書いたレポートを講師がAIに精査させ「AI生成だ」と判断し落第させる、なんてことは起こりうる。特に現状既にレポートなどをAIで書かせる行為が横行しているとささやかれ、講師はそもそも忙しく時間がないので判断系AIに頼る、というルートは出来上がりつつある。

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