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職員多けりゃいいってもんじゃない。

人員が少ないと良いケアができないのか?

認知症実践者研修に指導者として携わっていると、パーソンセンタードケアの内容の辺りで、研修の受講生から

「利用者を中心に考えるケアは分かるけど人がいないからできない」

というような意見をしばしば聞きます。

この
「人員少ない=良いケアができない」論

は「結局できない」を前提をしてしまい、学習するにあたっての思考停止を起こしてしまう危険があります。

そこで、この発言についてのうちのホームの事例を使用したアンサーを考えてみました。

人が沢山いても管理的だった事例

うちの事業所(認知症グループホーム)は今はパーソンセンタードケアを基本とした利用者中心のケアを実践しています。ただ、最初から行なっていた訳ではありません。

私が人事異動でホーム長になった平成27年時点では利用者を人として見ているとは思えない管理的なホームでした。

玄関の鍵は常に施錠されて閉まっている
利用者に調理や家事はさせない
利用者が立ち上がると職員が「どこ行くの?」と尋ねる
食後は整列してトイレに行かせる

という状態です。

そして、ここからが本題なのですが
管理的なホームであるのに、人員だけはしっかりと配置されていました。

ワンユニット9名に対して日中に早番・日勤・遅番の3人で勤務を組んでおり、さらに、調理の為に午前5時間と午後5時間(計10時間)のパートさんまでいました。

簡単に言うと

日中に利用者9名に対して職員が4名いる
(約利用者2人に対して職員1人)

という事です。

上の理屈から考えいると、これだけ職員がいたら、よっぽど良いケアが出来る筈ですが、ケアの内実は先程述べた通りとてもとても管理的なホームでした。

その状態を見て、人員を沢山配置していても、それがそのまま良いケアになる訳ではないと痛感しました。

職員が沢山いるのに良いケアができない理由は、一つは教育不足、もう一つは職員が沢山いる事自体であると考えました。

理由1:パーソンセンタードケアの教育が必要

一つ目の教育で不足しているのはパーソンセンタードケアの教育です。

パーソンセンタードケアを簡単に説明すると

認知症の症状を見るのではなく
認知症の症状を持った「その人」自身を見る

事です。

この知識がなかったので、ホーム職員は徘徊などの利用者さんの行動だけを見て「問題」と捉えてしまっていました。

「問題」と捉えてしまった結果、何の悪びれもなく「どこ行くの‼︎」「そっち行ったら危ないよ‼︎」と認知症の方に注意をしていました。「徘徊」という症状しか見ていないからです。

対してパーソンセンタードケアは、「何で歩き回るのかなぁ」とその人の気持ちや性格・生活歴などに焦点をあてる考え方で

「徘徊」という行動を止めるのではなく

内面の葛藤や本人のニーズを満たそうとするアプローチ

です。

例えば
(客観的な事実とは別として)
本人は「晩御飯を旦那さんに作らなければ」「とにかく行かなきゃ」と思って歩いているのに
(職員から見て客観的に事実はないからと)
歩く事自体を止めたり、ごまかしたり、鍵を閉めても
本人のニーズは満たされません

根本である本人のニーズに焦点をあてないと、利用者さんは何度でも外に出ようとします。結果、暴力的になったりします。 

結局、利用者さんを「問題」と捉えているケア環境では、利用者さんは何度でも出ていこうとするし、職員に拒否的・暴力的にになるので、例え職員が沢山いたとしても「問題行動」に対処するだけなのでキリがありません。

理由2:職員が沢山いる事自体が原因

人は問題が起きる前に未然に防ぎたいという意識が働くものです。
物が落ちそうになれば抑えるし、倒れそうになったら支えます。普通の場面ではそれで良いのですが、認知症ケアにおいては未然に防ごうとし過ぎると、あれも危ないこれも危ないとなってしまいます。

さらに職員の人数が沢山いればいるほど、人によって気になる点は違うので危険を防止する網は細かくなります。

仮に幾らでも人員を使って良いと仮定したら人員のMaxは1対1になると思います。そうなったら管理も甚だしい事になります。
本人にとっては(恐らく介護者も)息が詰まってしまうでしょう。残念ですが、家庭で1対1で介護をしていても虐待が起こってしまう事は1対1の難しさを表していると思います。

結局は、パーソンセンタードケアの教育がないと、利用者の行動を「問題」と捉えてしまい、職員の目線が管理的になる可能性があります。
その環境で、職員が沢山いるとさらに管理的に状態に拍車がかかってしまいます。それが当時のホームでした。

ではどうするか

今現在の利用者さんの洗い物の言動を例に出すと
ある方は
「ふぅ。お腹いっぱい。沢山食べたから洗い物位しなくちゃね」
と言って自分から立ち上がって流しに来て洗い物をします。洗剤を使わない事もあります。

またある方は、下膳しようとしたら
「自分でやりますから」
と言います。職員が下膳をしようものなら、食べた事自体を忘れてしまい何度も「食べてないんですけど」となってしまいます。下膳して洗い物をすることまでが食事なのですね。それなので、下膳は任せてそのままにしておけば折をみて自分で洗い物をします。たまにそのまま引き出しに仕舞ったり、洗面所で洗ったりすることもあります。

またある方は、恐らく下膳しようと思ってなのか、食後にコップを一個もって歩き回ったりします。

問題という意識で見ると、皆さんちょっとうまくいっていません。

しかし、ちょっとうまくいってなくて良いのです。
本人の心が先に動いて体が動く
という事が大切なのです。

そして

本人が自分でやったと感じている
納得している
人の役になっていると感じている

それが何よりも大切なのです。

まとめ

パーソンセンタードケアの知識がないと

職員や一般的なやり方を利用者にあてはめようするから
利用者の行動ができていないものに映り
利用者の行動を問題と捉えてしまい
管理しなくてはいけなくなります。

認知症の方は、うまく出来ない事が多いので
問題と捉えて管理する事はキリがなく
職員がいればいる程その管理の網は細かくなり
職員の人数が、良いケアには繋がりません。

よって
パーソンセンタードケアの知識を学ばない理由にはならないのです。


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