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大切なのは日々の生活

別府から入居した方の支援の話しです。
入居から30日経過。

別府で独りで暮らしていましたが生活が成り立たなくなり、東京の私の勤めるグループホームに入る事になりました。
しかし、本人にしたら東京に居る理由などないので別府に帰ろうとします。本人が帰ろうと思ったら止める事はできず、外に出たらホームに連れ帰るの事も難しいです。朝に窓から出て行ってしまう事もありました。
その方に対しての支援としては、

認知症になる前のような本人らしい生活ができる


という目標を立てました。
入居から30日経過しその支援が芽生え始めてきており、

認知症ケアは
本人の(認知症等で失ってしまった)ズを叶える事であり、

大切なのは
日々の生活だ
と改めて考えさせられましたので紹介したいと思います。

これまでの経緯はこちら

ご家族の関わり

ご家族の関わりとしては、(まずはひと月)

  • 毎日息子兄弟のどちらかから電話を一本かけてもらう

  • ほんの少しでも良いので顔を出してもらう

という事をお願いしました。

息子たち家族が自分を気に掛けている

と感じてもらう意図があります。

ちなみにですが、この支援は、ホームに入ろうが入るまいが効果があると思っています。顔を出せればベストですが、顔を出せなくても一本の電話だけでも充分だと思います。

物が盗まれたの意味

本人の悩みは自宅にいた時から、物が盗られてしまう事なのですが、物盗られ妄想の解決策は最終的には「安心」だと考えているので、家族の関わりが大切になります。
一般的に、認知症の方の物盗られ妄想はこのような事です。

認知症の方が「物を盗まれた」と言うのは、記憶障害で記憶が抜け落ちるので、管理していた筈の物が見当たらなくなる事から始まります。本人には病識がないので理由が思い付きません。そんな時に本人が思考を巡らせて導き出した解釈が物盗られ妄想です。思考が堂々巡りになるので本人一人では解決できません。見つかれば解決しますが、独り暮らしだと見つける事も困難です。
それに対しての支援は、「物がなくなったけど、心配してくれる人もいるし大したことでなない」と本人が思う事で、そうなるには、大切な人に支えられていると感じて安心する事だと考えています。

それなので、毎日の一本の電話が効果的なのです。できれば同じ時間に定期的が理想です。
「そうなんだ。大変だね。心配だよね。お母さん後で行くから安心して。仕事だから切るよ」
それだけで良いのです。
その毎日の継続が「気に掛けてくれる人がいる」という安心になっていくのです。

家族の支援の成果

長男夫婦は、毎日夕食時に来てくれました。
長男さんが夫婦二人で来てビールを飲んで帰る
だけなのですが、
ご本人は他の入居者さんに
「あれは私の息子なの。〇〇大学出てね…。隣は嫁さん。綺麗でしょ…」
と嬉しそうにお話したりしています。
親子同士で特に話をする訳ではなく、他の方と一緒に食事をしたり食卓の片づけをしているだけです。

入居当初は、長男夫婦が帰った後、「いつ帰りよった?」と言って帰ろうとされましたが、2週間程で
帰った事も気にしなくなったり
「明日は仕事やろ」
と自分なりに息子夫婦が帰る事を日々の事と解釈するようになりました。
明日また来る
家族が気に掛けている

というのがわかってきた結果だと考えています。

ホームの支援

本人の生活歴や性格を活かす

ホームでは、生活歴や性格をそのまま活かせるように関わっています。
最初はホテルか何かのように思っていたようですが、毎日居るうちに
食卓や流しが片付いていないのが気になりだしました。
ある日、
「置いといてー。私がやるからー」
と言い、下膳をして流しまですべて片付けてくれました。
それなので、キッチンの片づけは職員がすべてやるのではなく、本人が片付けられる余地を残すようにしました。

また、別府では地域の顔役として取り仕切っていたようで
その性格を存分に活かせるように関わります。
食器だけでなく、洗濯物干しも洗濯物たたみも他の方を取り仕切りながら率先してやってくれます。職員はできる限りそれを邪魔しないようにします。

団子汁

大分の郷土料理に団子汁があります。
それを作ってもらっています。
団子汁はちょっと面白いです。
簡単に言うと、みそ味のけんちん汁にすいとんの様なもの(団子)を入れるのですが、団子は小麦粉を練って伸ばして甲府のほうとうのようにします。作り方は本人曰く、汁を煮だたせた中に団子を投げ入れていくのです。
「おばあちゃんに教わった」と言い、小麦粉を捏ねるところからやってくれます。
団子はこの方の取り仕切りの元、皆で丸めて伸ばして作ります。お好み焼きパーティーに近い感じでワイワイと楽しく行えます。
勿論、汁のゴボウ・人参・大根・里芋・白菜・椎茸・長ネギはご本人が切ってくれ、
「椎茸はあっちではその辺になっちょる。どんぐりの木にな…」
と色々と教えてもくれます。

郷土の友達と一緒にやっていた団子汁をここでもやったり、取り仕切ったりする事で、場所は違えど関係性や役割りをここでも作れたらという想いです。

友達

ホーム内で話しを聴いてくれる関係ができてきています。
物がなくなったりはホームでもするのですが、他の認知症の利用者さんがその話しを聴いてくれています。
話しを聴いてもらったり、話したりして、お互いの境遇で涙したりしています。

成果 

そんな支援をし続けて30日ですが、成果が現れ始めました。

まずは、見るからにいつも居心地が良さそうなのです。
「別府に帰らなくては」
となるにはなるのですが、
入居当初は直ぐに出て行っていたのが、
今は
「お兄ちゃん。空港まで連れてってね。頼んだよ。明日で、良いんだからね」
と和らいでいます。

職員にも入居者さんにもよく話しかけ、自分の事を話しています。
家事で充実しているとも感じます。

職員にも利用者さんにも
「ありがとね~ほんと感謝しとるのよ」
「家では一人だからね。みんなで食べるのは本当においしいね」
「ここに来てよかったわ」
「ここは良い人ばかりだから」
等とよく言っています。

支援がニーズにあっているからの言葉だと捉えています。

本人の居場所に

本人のニーズを叶える支援をしてきた結果、本人の解釈が少しづつ変わってきました。
ホテルだったのが、お家になって来ています。
先日、日常の食材の買い物に行って玄関に入った際に、
「ただいま」
とおっしゃたのです。
少しづつではありますが、本人の居場所になって来てるのかと嬉しく思った瞬間でした。

別府から離れた事の良し悪しは、もう一つの人生を見る事はできないので判断する事はできません。
しかし、別府ではないけれども、私たちが、
本人が本人らしく生活できるように関わり続ける事で、
本人が「楽」だったり「安心」と感じてくれる場面や瞬間を増やしていく事はできると思います。
その繰り返しの日々の生活
ホームを「居場所」と感じさせる
と信じています。


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