ペンづくりと自分語り

私が作れるものの一つにペンがあります。作り始めてもう何年も経ちますが、今は最初より多少良いものが作れるようになりました。

鹿の角のボールペン。作るには硬い刃物が必要です。
工作レベルの技術で作っても、それなりのものができます。

二十歳のころ、ふと「このままでは自分はどこかで躓いて、引きこもりになるのではないか」と思ったことがありました。大学に通わせてもらってはいたものの、あまり優秀ではなく、今と同様、人付き合いもそれほど得意ではなかったので、少し息苦しく感じていたのです。何か収入源を見つけないとまずいと思って色々考え、「誰もが当たり前に使うもので、少し珍しいもの」が売れるのではないかと思いつきました。その後さらに調べていくと、どうやら木で作ったペンは良い値段になるようだと知り、早速やってみたかったのですが、初期投資がそれなりにかかる上、作業場所も確保できそうになかったため、その時は見送るしかありませんでした。

レジン(ポリエステル)と栗の木のボールペン。百円ショップで買ったパステルを砕いて
顔料の代わりにしたのを覚えています。作ったのは確か2015年ころです。

その2年後、果たして私は実家に逃げ帰り引きこもりになりました。しばらくはボランティアをしてみたり、アルバイトや内職をしてみたりともがいていたのですが、もはや打つ手がなくなってしまったので、有り金を全て使って、ペンづくりに必要な道具を買いそろえました。当時は今以上に、教室に通うとか、誰かに直接教えてもらうとか、そういったことは絶対に嫌だと思っていた(周りにそんな場所もなかった)ので、YouTubeでペンの作り方を調べ、恐る恐る作業を進め、何とか1本、2本とペンを完成させました。

その頃、当然ながら両親との関係は険悪で、非常に居心地の悪い思いをしていたのですが、作ったペンをプレゼントしたところ「何をばかなことをと思っていたが、お前がやろうとしていることは分かった。応援するからやってみろ」と言われ、関係が改善し、今もそれを維持することができています。(まだ迷惑をかけっぱなしですが、家にお金を入れたり、家に必要なものを買ってストックしておいたり、そういったことが少しずつできるようになってきたので、他の人よりもうんと時間がかかることは受け入れて、もう少し頑張ってみようと思っています。)

鹿の角の万年筆(18K・拭きカシュー仕上げ)。信頼する人からの多少の無茶ぶりや
切実な依頼は、自分の能力を底上げするのに必要だと感じます。

その後も木のボールペンを作り続けていましたが、だんだんと欲が出てきて、鹿の角や薬きょう、ポリエステル樹脂、蛾の繭、トウモロコシの芯、果ては自分の親知らずなど、色々な材料を扱うようになりました。作るペンの種類も増え、つけペンや万年筆にも手を出しました。難しい注文も来るようになり、親戚のおじさんからの無茶ぶりで必要になった18金のペン先を、冷や汗をかきながら輸入する、などということもありました。

親知らずとレジンのシャープペン。2021年ころ、あまりに怖かったので全身麻酔で
抜いてもらいました。担当の先生にこれをお見せしたところ、周りの看護師さんたちが
苦笑いするほど喜んでくれたのを覚えています。

私は健康優良中年ですが、肝っ玉は小さく、他の人が平気でいられる状況に全く耐えられない、ということが多々あります。そんな時はいわゆる「フラグを立てる」(つまり、わざと「これが終わったら○○をやるんだ」という具合に)ことでやり過ごしているのですが、ペンづくりはそういうときにも非常に役に立っています。

薬きょう(たしか30‐06)のつけペン。漫画やイラストが得意だった
婚約者のためにつけペンを作ろうと思いましたが、出来上がったのは別れた後でした。
当時の私にはほとんど余裕がなく、大切な人をひどく傷つけてしまいました。
今もとても後悔しています。

思えば、誰かに喜んでもらいたいという気持ちが強すぎて、的外れなことばかりやってきました。いつも「普通」にあこがれているので、作るものにペンを選んだのは必然だったのかもしれない、と思っています。スマートフォンやコンピューターがいくら高性能になっても、紙とペンを使う人が少しも減っていないところを見ると、きっと人間が生きている限り当たり前に存在し続けるのだと感じます。私のペンを使った誰かに「誰が作ったか知らんがなかなかいいペンだ」と言ってもらえることを願って、この先も細々と作っていこうと思っています。


この記事が参加している募集