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「仮面ライダー龍騎」という作品についてマジで語らせていただく。

突然ですが、「仮面ライダー龍騎」という作品をご存知でしょうか。

2002年2月~2003年1月まで放映されていた、平成仮面ライダーシリーズ第3作目。
『戦わなければ生き残れない』というキャッチコピーのもと、ライダー同士がバトルロイヤルを行う斬新な設定などが話題を呼び、今でも“名作”と名高い作品です。確か、自分が10歳・小学校4年生の頃に放映されていて、当時はよく観ていました。もっと言うと、自分がはじめて「仮面ライダー」作品の中で1話から最終話まで観たものになります。

こちら、ストーリーがだいぶ大人向けで、幼い自分には理解できなかったことも多かったのですが、昨年の8月から今年の2月まで『東映特撮YouTube Channel』で毎週2話ずつ、全50話が配信されており、20年ぶりに全話視聴することができました。大人になってしまった今だからこそ理解できることも多く、改めて数々の魅力に気づくことができました。

ということで、「仮面ライダー龍騎」の魅力について語らせてください。マジで。

○はじめに:ストーリー概要

全てが左右反転した鏡の中の世界「ミラーワールド」。そこでは生き残った者の願いを叶えるという、仮面ライダー同士の過酷なバトルが繰り広げられていた。「ライダーバトルを止めるため、そして人々を守るため」。仮面ライダー龍騎となった城戸真司を待ち受けていたのは、ナイト=秋山蓮をはじめとする他のライダーたちとの出会いや仲間の死、そしてバトルに仕組まれた悲しき真実であった。熾烈なライダーバトルの中で、真司たちはそれぞれの願いを胸に命を散らしていく。

https://www.kamen-rider-official.com/riders/3

①従来の「仮面ライダー」の常識を覆す斬新な設定

先述の通り、「龍騎」のストーリーの核となるのは『ライダー同士のバトルロイヤル』。ライダー同士が戦って、最後に残った一人が願いを叶えられるという、なんとも血腥い設定です。今でこそ、ライダー同士の戦いはそんなに珍しくないのですが、言うなれば『仮面ライダーは人類の平和と自由のために戦う』なんて考えが根幹にあった当時では到底考えられないものでした。

バトルロイヤルに参戦するライダーの数も多く、なんと13人。当時は一作品あたりに登場するライダーは1人、多くて3人ぐらいというのが通例だったことを踏まえると規格外の人数。一作品あたり登場するライダー数として、当時最多でした。
となると、変身者の設定も実にバリエーション豊富になるのですが、中には『悪事に手を染める刑事』『凶悪脱獄犯』などがあり…。本当に君ら『人類の平和と自由のために戦う』ライダーの系譜から生まれたの?なんて言いたくなりますね。「龍騎」で、従来比で型破りな設定とストーリー展開をしたことが、その後現在に至るまでのライダー作品がバリエーション豊富になった理由だと思います。

また、「龍騎」のストーリーを語る上で欠かせないのが『タイムリープもの』であること。一度バトルロイヤルが終わっても、歴史が修正されてまたバトルロイヤルが始まる…。この設定によって、後述の劇場版やTVスペシャル、ひいては後年になって作られた「RIDER TIME 龍騎」「仮面ライダーギーツ×リバイス MOVIEバトルロワイヤル(「龍騎」のライダー陣も出演)」などのストーリーは、通常のTVシリーズの世界の前後でタイムリープしたことで生まれた世界のものだと解釈でき、複数の作品が繋がることで多面的な解釈ができる楽しさがあります。

同様に、タイムリープの設定を持つ作品の代表格であるアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」。原作者の虚淵玄さんも

龍騎はバトルロイヤルものとして秀逸な出来だし金字塔。どうしても相似はする

「魔法少女まどか☆マギカ」虚淵玄さんのこぼれ話:popstyleブログ:エンタメ:読売新聞オンライン

と述べており、「龍騎」から影響を受けたことをそれとなく認めているように思えます。「龍騎」がライダー作品以外にも影響を及ぼしているとわかるエピソードですね。

②斬新なライダーデザイン

「龍騎」以前のライダーデザイン、特にマスク(仮面)のデザインですが

目:丸い複眼
口元:クラッシャー
頭:触覚(ツノ)

この3つが共通項として挙げられます。初代の仮面ライダー1号の仮面を思い浮かべると明らかだと思います。
そして、初代~「龍騎」の1つ前の作品である「アギト」までは、どのライダーのマスクにもこの3つが織り込まれています(口元のデザインは意外とバリエーション豊富なので、クラッシャーに関してはちょっとグレーかもしれないけど)。

しかし、「龍騎」の13ライダーのデザインは、どの要素も無いライダーがほとんどです。確か、西洋の鉄仮面をモチーフにしており、それがデザインの根幹にはあると思うのですが、従来のライダー比で見るときわめて自由なデザインであるといえます。

「龍騎」以降、現在の「ギーツ」まで続く作品のライダーデザインを見ていると、非常に個性豊かですよね。鬼の形相を隈取のような線入れで表現している「響鬼」、桃が左右に割れた複眼の「電王」、宝石をマスクの中心に据えた「ウィザード」、TVゲームのキャラデザで、目元はもはや複眼ではなくBAD BOYのロゴみたいな「エグゼイド」、などなど…。
仮面ライダーシリーズが現在まで長く続いてきた理由の一つに、『自由なデザイン』により観る人たちを飽きさせなかったことがあり、その先駆けになったのが「龍騎」だと思っています。

追記:仮面ライダー1号のマスクが兼ね備えていた『丸い複眼』は龍騎に、『クラッシャー』はナイトに、『触覚』はゾルダに分散されて織りこまれています。自由なデザインを繰り広げる一方で仮面ライダー1号へのリスペクトを表していて素敵ですよね。

③個性豊かで魅力溢れる登場人物

「龍騎」には13人もの仮面ライダーが登場しますが、となると変身する人物も13人(実際はそうではないのだが…)登場することになります。こんなにたくさん登場人物がいると、影が薄い人物もいるのではと思っちゃいますが、「龍騎」に出てくる人物はみんな印象深い!

主な登場人物は勿論ですが、短い話数で退場した人物も印象深いのが凄いです。短い話数の中で『そうした人物になった過程』までしっかり描かれているからだと思います。
そんな登場人物の中で自分が特に好きなのが、佐野満・仮面ライダーインペラー(第41~44話登場)。大企業の御曹司であるにもかかわらず、父親から勘当されてフリーターとして働く満は『幸せになりたい』という漠然とした願いを持ってライダーバトルに参戦していました。その一方で、駐車場の警備員アルバイトをしており、どこぞのお偉方っぽい運転手さんにお世辞やおべっかを使ってチップを貰う生活をしていました。
ただ、父親が急逝した連絡を受けたことで、満の人生は一変します。遺言には『次期社長の座を一人息子である満に受け渡す』旨が書かれており、瞬く間に裕福な暮らしや許嫁を手に入れます。つまり、ライダーバトルに勝ち残らなくとも願いが叶ってしまったのです。願いが叶ったのでライダーバトルを抜けようと、ゲームマスターである神崎史郎に交渉する満ですが、一度ライダーバトルに参戦した者は『戦わなければ生き残れない』旨を告げられ、背けば命が無いことをちらつかされてしまいます。一度掴んだ幸せを守るため奔走する満ですが…。
この続きは是非、ご自身で確かめてもらえたらと思いますが、これだけ人の半生を僅か数話で描かれていることが凄いと思います。

脚本に加えて、「龍騎」に出演している役者さんたちの演技力も、人物の魅力を最大限に引き出している理由だと思います。「龍騎」に登場する役者さんってみんな、登場したての頃から演技が上手だった印象です。その影響もあって、ストーリー序盤から「龍騎」の世界観に引き込まれました。
これに関しては、秋山蓮・仮面ライダーナイト役の松田悟志さんが自身のYouTubeチャンネル動画の中で、『作品自体がすごく難しいテーマを扱うものなので、俳優経験が3年以上必要』だとオーディション要項に書かれていたと述べています。なるほど!

④『OREジャーナル』の存在が「龍騎」にもたらす、もうひとつの物語

「龍騎」の主人公である城戸真司・仮面ライダー龍騎は、ジャーナリスト見習いとして『OREジャーナル』というモバイルニュース配信会社で働いており、先輩記者・桃井令子と、編集長・大久保大介とともに、突如人が失踪する連続行方不明事件を追っています。その道中でライダーになった真司は、事件の真相がミラーワールドに棲息するミラーモンスターが人間を捕食していることだと知ります。

ただ、真司は自身がライダーであることや、ミラーワールドの存在について他人に打ち明けられないので、令子と編集長は自力で調査を重ね、情報を集めることで

・事件現場には必ず、鏡のような“映るモノ”があること
・鏡に映り込む神崎史郎やミラーモンスターの存在

などに気づき、ミラーワールドやミラーモンスター、そしてライダーバトルの核心に迫っていきます。

仮面ライダーの作品ってわりと、『ライダーの存在を既に知っている人たち』だけで繰り広げられることが多くて、『OREジャーナル』のように『ライダーを知らない人たち』の描写がここまで深い作品ってそうそう無いように感じています。ライダーバトルが、当事者以外の何も知らない人の視点から見るとどう写るのか?という、ある意味視聴者である我々に近い視点をもつ登場人物がいることで、作品に没入しやすくなると感じました。

『ライダーバトル』の物語に加えて、OREジャーナルの面々が徐々に『ライダーの謎に迫る』物語。「龍騎」にはこの2つの物語が繰り広げられ、時にお互いが緻密に絡み合うことで、作品への奥行きや深みをもたらしていると感じました。

追伸
もし「龍騎」が近年の作品だったら、OREジャーナルの面々も最初からライダーの存在を知っていて、戦いに疲れたり悩んだりする真司をサポートする存在になっていたんだろうな…。

⑤話題性・イベント性に溢れた劇場版・TVスペシャル

「龍騎」放映中に、通常のTVシリーズとは別に、『劇場版』と『TVスペシャル』が作られました。劇場版は現在のライダー作品まで続いていますが、TVスペシャルのほうは「龍騎」を最後に作られていない認識です。

この劇場版とTVスペシャルも、なんとも話題性やイベント性に溢れていました。劇場版は「EPISODE FINAL」というタイトルが冠されており、その名の通り「龍騎」の最終回を描いています。劇場版が放映されたのは2002年夏、ちょうどTVシリーズが中盤ぐらいに差し掛かった頃で、劇場版で先行して最終回が描かれる形となり、これも斬新だったと言えます。また、史上初の女性ライダー・仮面ライダーファムが登場したことも話題となりました。

TVスペシャルは、TVシリーズが放映されている毎週日曜日の朝8時ではなく、木曜日の夜19時に放映。タイトルは「13 RIDERS」であり、『もう一つの「龍騎」の物語』が描かれています。13人のライダーが全員登場する点においては、TVシリーズより先行する形になりました。
しかし、このTVスペシャル最大の特徴はなんと言っても、視聴者投票で結末が決まるマルチエンディング方式であったこと。城戸真司が『戦いを続ける』『戦いを止める』どちらのエンディングを放映するのかは、視聴者による電話投票で決まる方式がとられました。
結果、投票数が多かった『戦いを続ける』エンディングが放映されました。後々、『戦いを止める』エンディングも観る機会がありましたが、どちらもバッドエンドなのがまた『龍騎らしさ』だと感じました(「戦いを続ける」ほうが多少救いがあるかな…程度)。
いずれにせよ、当時のライダー作品、ひいてはTVドラマにまで枠組みを拡げても、こうしたマルチエンディング方式のモノって無くて、子供心ながらすごく新鮮だった記憶です。電話投票というのも、まだインターネットやデータ放送の黎明期だった当時の特色が顕れていて、なんだか良いですよね。集計された方々は非常に大変だったと察しますが…。

ちなみに、当時の自分がどちらに投票したかというと、投票できませんでした……。放映当日に別の用事があり、途中からしか観られなかったため、投票用の番号を把握できなかったんですよね。確か、王蛇のベノクラッシュでシザースが倒された直後からリアタイ視聴し始めた記憶があります。

⑥大人になった今だからこそ刺さる、色褪せない数々の名言

最後に、作中における登場人物のセリフの中で、個人的に「名言」だと感じているものをいくつか紹介します。現在の自分の心に刺さっている順で紹介させてください。

○今の社会はな、ライダー同士の戦いと同じなんだよ。生きるってことは他人を蹴落とすことなんだ。いいか!人間はみんなライダーなんだよ!!

TVスペシャル13RIDERS にて。
ライダーバトルを止めるために仲間探しをする真司が、高見沢グループの御曹司である高見沢逸郎・仮面ライダーベルデのもとを訪れた際に言われた台詞。それまでは温厚で理知的だった高見沢の口がいきなり悪くなり、鬼のような形相で真司に迫りながら演説のように喋り、最終的には真司の椅子に足を掛けてマイクを投げ捨てるシーンもあいまって印象的です。

これも、現代社会を生きる自分たちを言い表しているように感じた台詞です。まさに、就職して社会に出た今だからこそ深く刺さった台詞です。色んな人と協力したり、仲間になったりするけど、最終的には蹴落とし合い。喰うか喰われるかの争いを経て狩った動物の肉を食べていた古代から姿を変えただけで、現代でも蹴落とし合い、言うなれば『サバイバル』は続いているのだと感じました。

○何が正しいのか選べないのはいいが、その選択肢の中に自分のこともちゃんと入れとけよ。お前が信じるもんだよ。

49話より。
ライダーとしての正体がOREジャーナルの面々に対して明らかになり、その中で叶えたい願いを見出せず悩んできたと打ち明けた真司に対して、編集長が言った台詞。

これも、自分が大人になった今だからこそ刺さった台詞でした。仕事の進め方や、プライベートの人間関係などで、何が正しいのか悩む局面は結構多いですが、自分の意志や想いが入っていない選択肢で悩んでしまう場合結構あると感じています。その理由ですが、自分の場合は『自分が悪者になりたくないから』だと思うことが多いです。

先述の台詞の後、編集長はさらにこう続けます。

お前だって、ここんトコ(心)にしっかり芯がねぇと、話し合いにもなんねぇし、誰もお前の言うことなんか聞いてくんねぇだろ?

…悪者になりたくない一心で物事を考えているときは、自分の芯を持つことなんて難しいよなと考え直しました。
自分にすごく刺さる考え方でした。すぐには難しいですが、必ず直したいです。
そして、YouTubeチャンネルでの配信でこのシーンを観た時に、OREジャーナルの一室で編集長が優しく語りかける描写もあいまって、思わず泣いてしまいました。編集長ほんとにいい上司だよね…。

○俺はな、人間の欲望ってヤツを愛してるんだ。人として生まれたからには全ての欲望を満たしたい。忍耐だの我慢だの、そんなモノを有難がる人間はたくさんいるけど、そういう奴に限って欲望を満たす才能も力も無いんだよ。

8話より。
真司が、「スーパー弁護士」と称される北岡を取材する中で出てきた台詞がこちらです。

なんだか、自分のことを鋭く言い表されている気がしました。表面上は欲望なんて無さそうに振る舞っていても、その底には欲が渦巻いている。それが表出しないのは、単に欲望を満たす力が無いだけ。だから忍耐や我慢を美徳化するフリをしているだけではないか?
そんなことを思ってしまいました。不治の病で余命わずかであり、ライダーバトルで勝ち残り『永遠の命』を得ることで欲望を全て満たす願いをもつ北岡が言うからこそ、より説得力があります。

○真実はひとつだが正義はひとつじゃない

TVシリーズ第21話より。
仮面ライダーナイト・秋山蓮の願いが『恋人の命を助ける』ことだと知り、これまで蓮の戦いを止めようしてきたことに苦悩する真司に、大久保編集長がかけた言葉。

様々な人間の正義=願い事が交錯する「龍騎」の世界観を的確に言い表しているし、これもまた自分にも当てはまる台詞だと感じました。ある物事に対して各人の主張や考えがあって、その根本には各人の思う「正義」があって、どれも間違ってはいないけれど、時には衝突してしまう…。
SNSに棲息し続けている自分視点の例になりますが、Twitterで論争が巻き起こっている時とか、とかく各人の正義が衝突しているときに思い出したい一言だと思います。

○英雄っていうのはさ、英雄になろうとした瞬間に失格なのよ。

TVシリーズ第46話より。
仮面ライダーゾルダ・北岡秀一が仮面ライダータイガ・東條悟に対して放った台詞。
みんなが自分を好きになってほしいという独善的な理由で、ライダーバトルに勝ち残って英雄になろうとする東條。タイガに変身してゾルダに戦いを仕掛けますが、その中でこの台詞を浴びせられ、自分が願ってきた「英雄」とは何なのか分からなくなってしまいます。

例えば、「英雄」の部分を「いい人」や「優しい人」に変えてみると、なんだか自分にも当てはまる気がします。先述の台詞から少しだけ表現を変えますが、『自分の内からこうなりたい』ではなく、『人からこう思われたい』という動機で行動しているうちは、本当の意味での「いい人」や「優しい人」にはなれないと感じてしまいました。東條が、最終的には不意の事故から親子を守って「英雄」と評されたこともそのことを裏付けていると感じました。すごく皮肉な最期でしたが…。

○重さが、消えていったライダーたちの重さが2倍になった!これ以上は増やさない!人を守るためにライダーになったんだから、ライダーを守ったっていい!

TVシリーズ28話より。
『13人目のライダー』として、突如龍騎たちの前に現れたオーディン。圧倒的な戦闘力を見せつけると、「少し修正が必要になった」と言って『タイムベント』のカードを使います。すると、真司がライダーバトルに参戦する前まで時間が巻き戻され、再びこれまでと同じ日々を送っていきます。時間が巻き戻される前の記憶がある真司は、これまでのバトルで消えていったライダーたちが消えないようにと奔走するのですが上手くいかず、最終的はほぼ同じ歴史を繰り返してしまいます。
そして、オーディン登場の時まで時間が経ち、再びオーディンと対峙した龍騎が放ったのがこの台詞。

ライダーとしての宿命に度々迷うことがあった真司ですが、その根幹にあった『戦いを止める』『誰も犠牲にしない』ポリシーがよく顕れていて、良い台詞だなと思います。

○おわりに

以上が、自分の思う「仮面ライダー龍騎」の作品の魅力です。
きっと、何度観返しても楽しめるし、観返すたびに新たな発見や魅力に気づける奥深い作品だと思います。リアルタイムで観ていた20年前には、まさか今になってもこの「龍騎」という作品について考えているなんて夢にも思っていなかったでしょうね。皆さんも、機会があればぜひ視聴してみてくださいね~

最後は、「龍騎」最終話で大久保編集長が書いていた記事の締め括りと、同じフレーズで締め括ろうと思います。

以上が、一連の行方不明事件の真相であり、仮面ライダーと名乗る人間たちの戦いの真実である。
この戦いに正義は無い。そこにあるのは、純粋な願いだけである。
その是非を問える者は―。

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