CtoCマーケットの多様性
副業を探すにあたり、CtoCのマーケットプラットフォームを見ました。自分では考えもつかなかった仕事の依頼内容に、社会の多様性を感じるとともに、「だれでも誰かのために何か仕事ができる」という、視野の広がりがあったので備忘録です。
仕事はライティング・プログラミングだけじゃない
個人的に、クラウドソーシングは「企業ないし個人事業主が個人に対して発注をする」仕事がメインというイメージがありました。記事作成やHP作成、コーディングなどの専門性が必要な仕事が多く、また相手も企業となるとNDA・契約書はより慎重に確認しなければならず、なかなか手が出せない領域のように思っていました。
私自身は以前にクラウドワークスを利用して、簡単な文章をリライトする仕事をいくつか受けましたが、正直にいうと文字数に対する金額がかなり低く設定されており、副業といえるような金額にはならなかった記憶があります。もちろん、実績を積まれて単発ではなく定期的な記事作成などの仕事を頂けるようになれば、受注金額も上がるのかもしれませんが、当時の掲載案件や応募状況をみると、実績や経験・技術を得るのには少し時間がかかるかもしれません。当時の私は、勤めていた企業の仕事が繁忙期に入り文章を書く時間が取れなくなり辞めてしましました。
しかし、今回別のプラットフォームを見てみたら何だか想像していた案件とは異なる"個性的"な仕事内容があり、驚いています。例えば「ダイエットの監視」や「私だけの小説執筆」「メルカリでの購入商品探し」など、CtoCの案件が散見されたのです。
仕事の依頼者たちは、「自分以外の人に仕事をアウトソースする」というより「自分自身の欲望」を満たしてくれる誰かを求めているようでした。メルカリでの商品探しなら、周囲の友人や同僚などに頼めそうな内容ではあります。しかし、ダイエットの監視や好みの小説執筆については、友人や隣人に頼むには少しパーソナルで他人に下手に揶揄されたくない内容です。「ただ自分の望む対応をしてくれる他人」という存在が、ネットの世界ならば気軽に手に入る。専門性を持たない人間は、「他人の欲望を満たす」ことを考えることで価値を生み出せるのかもしれません。
「レンタル何もしない人」が人気の社会
Twitterで話題が広がり、今や書籍も販売している「レンタル何もしない人」。なぜこれほどまでに人々に求められるのでしょうか。
個人的に思うのは、私たちは生まれてから社会に出て退職するまで「社会に求められる人間」であることを強いられていて、「個人」または「個性」としての欲望を沈められている、ということです。
当たり前ではありますが、怒りや悲しみを人にぶつけることは忌避される。アンガーマネジメントなどのメンタルコントロールを学ぶことは必須とされてきて、穏やかで人当たりが良くてコミュニケーションを円滑に進めることが会社・友人ひいては家族など、すべての関係性に求められる時代になってきているように感じています。もちろん悪いことではなく、家族のような近しい関係でも感情に任せるのではなく、相手を受けとめたり自分の感情を自分で受け止めて外に出すまでにワンクッションを置く、という考え方自体は歓迎されるものだと思っています。けれども、それだけでは個人がもつ感情や欲望は、他人を優先して表に出せないまま胸中にとどまり続けてしまう。
私も含めて誰しも「したい・言いたいけど、周りの人にはとやかく言われたくないこと」を持っていると思います。犯罪でない限り、ありえないくらいべったべたに私が愛される小説があってもいいし、ダイエットを笑ったりしない他人を探して監視してもらってもいい。友人じゃないけど、スポットで自分の欲望を満たしてくれる他人を探してもいい。会社や家庭で我慢している欲望の疼きの、健全な発散方法なんだと感じました。
終わりに
ねこを飼うために住環境を考えている私ですが、中古マンション購入と賃貸マンション契約のどちらが良いかお得かなどを相談できる人を、こういうプラットフォームで探してみるのも面白いかもしれません。あくまで参考までにですが。