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高校生の器

高校生の時、同じクラスの男子は女子に比べて圧倒的におとなしかった。3年間クラス替えは無かったにも関わらず、話した事がある人は数人だった。話してみれば気が合う人や、おもしろい人もいたのかもしれないのに、たいして知ろうともしないまま「なんか、仲良くなりたい人、いないな」なんて初めの印象だけで、上から目線で思っていた。3年生になっても名前を知らない男子がいるほど私は関わろうとしていなかった。

卒業が近づいてきた頃、いつも一緒にいた友達から「(クラスメイトの)Aくんが、お礼を言いたいと思っているらしいよ」と言われた。
「え、私に⁈ なんで??」とびっくりした。

Aくんは入学してからすぐ、欠席が続く事があったらしい。新しい環境になったばかりで、みんながどんどん友達を作っている中、なんだか気後れしていた。
そんな気持ちで登校した時、私が声をかけ一緒に過ごした時間があり、それがすごく嬉しかった
との事だった。

それを聞いた、上から目線の私は「やだ、そんなの、言わなくていいのに」と思ってしまった。
私はその事を覚えていないし、自分から声をかけて一緒にいたなんて、なんかすごく恥ずかしかった。

このまま、お礼なんて言われないまま卒業になればいいな、なんて考えていた。

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相変わらずクラスの男子とはちっとも関わらずに過ごしていたある日、Aくんに呼び止められた。
Aくんは私に入学当時の話をし、
「嬉しかったから、いつかお礼が言いたいとずっと思っていた。ありがとう。」としっかり言ってくれた。
しかし、そこでも私はきちんと受け止められなかった。まともに顔も見れず、曖昧な返事をして、そそくさとその場を切り上げてしまった。
それ以来Aくんと話すこともなく卒業し、そんなことは忘れて暮らしていた。
そして大人になってから、ふと「そういえばこんな事あったな」と思い出した。

Aくんが私に伝えるまでには、けっこう勇気が必要だったのではないかな。
どんな風に言おうか、いつ言おうかと考えている時間も長かったのではないかな。
普段話すこともない私を呼び止めるのも、ずっと思っていた事を話すのにも力を使ったんではないかな。
それを無下にした私はとても失礼だった。

気づくまでにずいぶん時間がかかってしまった。


言葉がその人の考えのすべてではないと知っている。気持ちが言葉に変わらない、声に出してうまく言えない苦労は山ほど体験しているのに、他の人のそれを想像するのは難しい。
伝える大事さと同じくらい、受け取る時も大事にしよう。
私も感謝を伝えよう。

サポートをしたいと思うくらい楽しんでもらえたと自信になります。 読んでくれてありがとうございました!