【なぜ網代の土地で和菓子を極めるのか?】 『菓子舗 間瀬』 間瀬 眞行社長が語る和菓子へのこだわり
みなさんこんにちは~!
私たちは地域再生やまちづくりに興味がある大学生3人組です!今年の10月から静岡県熱海市・網代地域に拠点を置いている『あじろ家守舎』さんでインターンを始めました。
そんな『あじろ家守舎』さんは、南熱海のコンテンツを活用し、魅力向上と網代の地域活性化に寄与し、住う人や訪れる人が南熱海に住んで、来てよかったな〜と実感して頂けるような街を築くために活動している団体です。
こちらのnoteでは、そんな網代を拠点に活躍、商売をされている方々へインタビューを実施し、その人がなぜ網代を選んだのか、網代地域の魅力についてお話しを聞いて皆さんへ共有していく内容となっております。本日は大学生いぐっちゃんから記事をお届けします。
【老舗和菓子店】 網代で本格和菓子を楽しむ
網代の土地で1872年に創業して150年以上、老舗和菓子店『菓子舗 間瀬』さんの本店は網代の中心街に位置しています。建物は遠目からでも分かるほど素敵な造りで、入り口はガラス張りになっており美しくディスプレイされた中の様子が見え、引き寄せられるように店内に入ってしまう、そんな雰囲気です。私たちが訪問させていただいた時も多くの地元の方や観光客の方が買い物を楽しんでいました。
そんな『菓子舗 間瀬』は、現在5代目の間瀬 眞行さんが社長を務めています。今回の記事は、この網代の土地でビジネスをしている間瀬社長の生い立ちや『菓子舗 間瀬』について様々な話をお聞きすることができましたので、皆さんへご紹介します。
【間瀬社長と間瀬の生い立ち】
【網代で過ごした幼少期】子どもたちの声が響き渡る町
ーー 本日はよろしくお願いします。
間瀬 よろしくお願いします。
ーーまずは間瀬さんの自己紹介をお願いします。
間瀬 間瀬 眞行と申します。私は昭和25年生まれで当時は戦後のベビーブームの環境下でこの網代の地に生まれました。兄弟・姉妹は妹が2人いまして、皆既に廃校となってしましたが、網代小学校と網代中学校に通っていました。
ーー幼少期の網代について教えてください。
間瀬 そうですね、私が網代小学校・網代中学校に通っていた頃は、この狭いエリアに多くの子供が住んでいて、小学校で600人ほど(1学年約100人)、網代中学校で300人ほど(1学年約100人)の生徒がいました。それだけ子どもがいると、町中がもの凄く賑やかで活気がありました。
ーー多くの子ども達がいる光景って素敵です。当時はどのような遊びをされていましたか?
間瀬 当時は今のようにゲームやスマホなども無かったので、町中が遊び場として、外で遊ぶことが多かったです。皆で集まって野球をしたり、すぐ近くに海があるので泳いだり、磯遊びもしました。とにかく賑やかで子どもの声が響き渡っていましたね。ですから、その当時と比べ現在は子どもの声が聞こえなくなり、寂しを感じます。
【没頭した大学時代】好きな写真撮影に夢中になっていた
ーー間瀬社長はこれまでずっと網代にすんでいらっしゃったのですか?
間瀬 高校を卒業したタイミングで大学進学のため上京しています。その当時は、学生運動が盛んな時代で、有名なのが「東大安田講堂事件」がありましたね。まさにその最中に大学へ行ったものですから、大学の授業もまともに開講されていなかったので、学校へはほとんど行かず好きなことをしていました。
ーーなるほど。どんな好きなことをされてきたのですか?
間瀬 映像関係に興味があり、特に写真撮影をしていました。その好きが高じて「全日本学生写真連盟」を通じて、全国各地の写真サークルに集結してもらうイベントを開催していました。
ーーやりたいことに力を注げるってとても素敵なことですね!当時から菓子作りに興味はあったのですか?
間瀬 実は大学時代まで興味がなくて、実家を継ぐつもりはありませんでした。
【好きなこと×仕事の両立】両立のため間瀬社長が決断したこととは?
ーーえぇ、意外な回答でした!
間瀬 最初は継ぐつもりはなかったのですが、やはり写真だけで生活していくには厳しくて…。また、大学卒業時には看板商品である『伊豆乃踊子』の専用工場の建設を予定していたのですが、肝心な責任者が居ませんでした。そこで、大好きな写真活動をこれからも続けるため、まずは新工場の責任者として、ゆくゆくは後継者として『間瀬』を引き継ぐことを決断しました。
ーー大きな決断をされたのですね!元々菓子作りの知識などはあったのでしょうか?
間瀬 大学時代は好きな写真に没頭していたので、当然菓子作りを一から勉強する必要がありました。そのため、大学卒業後に洋菓子の専門学校に2年間通い、その後横浜にある洋菓子店で2年間修行を積みました。網代へ帰ってきたのは25歳の時で、以来網代に約50年間住んでいます。
ーー『菓子舗 間瀬』は和菓子のお店ですが、なぜ洋菓子の勉強をされてきたのでしょうか?
間瀬 実は、昭和前半頃から和菓子だけではなくパン、洋菓子など幅広い商品の製造販売を手がけていたのです。私が洋菓子を学ぶことで、さらに商品の間口が広がるとともに、私自身も面白いと感じていました。
【事業の方向転換】 父と話し和菓子一本の道へ
ーー間瀬社長の洋菓子の修行を積んでいた経験が活かされたのではないでしょうか?
間瀬 そうですね、ターゲットにしていた地元のお客様のニーズは、和菓子だけではなく菓子類全般でした。そのため、東京から職人を連れてきて洋菓子を開発したり、学校給食のパンや煎餅、自家製のアイスクリームまでと、積極的に商品を広げていました。
ーーそんなに様々な商品を販売していたのですね!!地元のお客様も大変喜ばれていたイメージがつきます。
間瀬 確かに地元のお客様に愛されていましたね。しかし、私が30歳になる時に、父と今後の『間瀬』について考えるようになりました。父は日本画家を目指したほど日本の芸術文化が好きでしたので、伝統的な和菓子をおろそかにせず、しっかりしたものを作り続けたいという思いが強かったのです。それで、今後は和菓子専門店として間瀬を成り立たせた方がいい!という決断に至りました。
ーーすごく大きな転換期を迎えたのですね。転換して順調にいっていたのですか?
間瀬 転換してしばらくは本当に商品が売れずに苦労しました。そのため、毎月新たな商品を考案して、テスト販売し改善を重ねていくなど試行錯誤を繰り返しました。当時は、日夜常に新商品のアイデアを考えていました。その商品開発は今でも間瀬の文化として根付いています。
ーーなるほど、和菓子専門店として大きな苦労があったことがよく分かりました。そのような中でも、和菓子専門として歩めていた理由はございますか?
間瀬 当時は既に看板商品である『伊豆乃踊子』があり成り立っていてたお陰で、和菓子専門店への歩みを進めることが出来ました。
【商品のこだわりと今後の展望】
【伊豆乃踊子誕生秘話】 川端先生に直談判して承諾を得る
ーー『伊豆乃踊子』は伊豆の代表銘菓として有名ですよね。ぜひ詳しく教えてください!
間瀬 そうですね、『伊豆乃踊子』は数ある商品の中でも一番売れている商品ですし、歴史もある商品です。
間瀬 『伊豆乃踊子』が出来たのは約60年前の1966年、この当時は高度経済成長の真っ只中で、1961年に伊豆急行線(伊東〜伊豆急下田)が開通、1964年には東海道新幹線(東京〜新大阪間)が開通し、かつてバスや車でしか行けなかった熱海から南部の観光需要が増大しました。
そこで観光客の方々が伊豆に来た思い出を持ち帰ることができるお土産を開発できないかと考え、思いついたのが川端 康成先生が著した伊豆を舞台にしている短編小説「伊豆の踊子」をテーマにした商品でした。
ーーやはりその小説から取られていたのですね!それにしても商品名を文学から取るのはとても珍しいと感じました。
間瀬 確かに珍しかったと思います。ただ、そもそも商品名にこの名前をつけて良いのかという疑問もありました。でも幸いなことに、川端先生とご縁があり、直接お会いしてお伺いを立て、承諾をいただくことが出来ました。
ーー直接会いに行かれたんですね!反響は大きかったのではないでしょうか?
間瀬 確かに大きかったですね。ちょうど山口 百恵さん、三浦 友和さんの主演で「伊豆の踊子」が映画化されたタイミングとも重なり、伊豆への観光客がさらに増加したのと、1968年には川端先生がノーベル文学賞を受賞されて、「伊豆乃踊子」は大ヒット商品となりました。
【原材料のこだわり】美味しさの源は水と餡⁉
ーー商品への思いが感じれるお話しをお聞きしましたが、美味しい商品を製造するのに原材料も大切な要素だと感じています。何か拘っている点があったらぜひ教えてください。
間瀬 水にはかなり拘っていて、美味しい水は良い原料を引き立ててくれるのです。熱海は水に恵まれた土地で、富士山の雪解け水が伏流水となって柿田川になり、丹那の山の地下水が丹那水系をつくります。この天然の良好な水が使えるのです。
網代地域の水は、蛇口から出てくるものはそのまま飲むことが出来るぐらい美味しくて、それを工場で商品を作るときに利用しています。
ーーそんなに美味しいお水が蛇口から出るのですね。
間瀬 しかし、さらに美味しい水にならないかと水の製造機を造りました。水道水にはどうしてもカルキと塩素が入ってしまうので、美味しいお水にはそれらを取り除く必要があります。そのために、細かい目のフィルターに通しろ過した後に、3トン貯蔵出来るタンク内に備長炭を積み立てて、その状態で通電することによって水の粒子が小さくなって、クセの無い、のど越しのスーッとした美味しいお水となるのです。
ーーお水はどの工程でも使いますよね。他に何か拘りがあったら教えてください。
間瀬 あとは餡ですね。ほぼ全ての和菓子には餡が使われていて、この餡の美味しさによってその和菓子の味も変わってくるぐらい大切です。間瀬で作っている餡は豆から自社工場で作っています。その餡が軸となって、他の原料、そして和菓子を作る技術が合わさって美味しい商品が出来上がります。
【輝ける居場所】 好きなことができる環境がある幸せ
ーー今後の『菓子舗 間瀬』の展望について教えてください!
間瀬 現在、店舗を熱海市内で4店舗展開していますが、熱海市外では出店せず商売を続けていこうと思っています。その理由は、熱海市内には魅力的な食材が多く、それらを活かしたお菓子作りをこれからも続けていきたいからです。そのためには、これまで以上に深掘りして魅力的な商品を生み出していく必要があります。そうすることで、日常のおやつや贈答品、茶会などでの茶菓子、仏事から慶事まで、様々な場面で間瀬の商品を選んでいただけるような商品作りをしていきたいです。
ーーいつでも探求していく姿が素晴らしいです!その原動力はやはり間瀬さんの菓子作りへの思いが強いからこそのものだと感じました。
間瀬 そうですね、私にとって菓子作りは、自分の生き方に向いている好きな道であると感じています。お客様が「美味しい」と言っていただけることは当然嬉しいですし、その声を聞くためにさらに新しい商品を作りたい気持ちになれる。どんなお菓子にしようか、どんな名前、パッケージ、素材にしようか、考えるのは大変ですけど、それが好きなのです!それに携われている今の環境はとても幸せです。
【網代の魅力】
【一つの共同体】お隣さんが何を食べるのかわかるほど!?
ーー間瀬さんの熱い思いは網代の街にも良い影響があるのではないかと思いますが、網代の魅力について教えてください。
間瀬 網代は住民同士の繋がりが非常に濃い町ですね。普段の生活の中で隔たりをあんまり感じることがなくて、互いに助け合おうとする互助の精神がある一つの共同体みたいだと思っています。大通りから1本入る路地裏では、多くの家が密集しているエリアがあり、家と家の間隔も非常に狭く、それは私が子どもの頃と変わらない光景が今でも広がっています。
ーー私たちもその路地見てきましたが本当にみっちり民家が建っていました。
間瀬 路地裏での生活は、農村部みたいに広々とした家ではなく、1つ家に2~3世代で住むのが当たり前で、なおかつ子どもも多いため、ぎゅうぎゅうになりながら住んでいました。家も密集しているので、周辺の民家の生活音まで聞こえてくるほどです。そのため、日中は家の中では過ごすことはなく、通りは常に住民の方々で賑わっており、交流も盛んでお隣さんが今日は何を食べるのかわかるほどでした。
【商業地としての側面】多様な人々が出入りする土地
ーーそのような人で賑わっていた環境は、どのように作られてきたのでしょうか?
間瀬 網代は漁港があるため水産業として発展してきたというイメージがあるかもしれません。当然水産業もあるのですが、古くは商業のまちとして賑わっていました。江戸時代、「京、大坂に江戸、網代」と呼ばれ、網代漁港は大坂から江戸へ向けての航路として位置していたため、多くの物流船の風待ちの停泊地として利用されていました。
ーー網代の立地も良かったのですね!そうなると江戸と大坂など多様な文化が入りまじっていたのですか?
間瀬 停泊地として多くの物流船で賑わい、宿や食料品・日用品の販売などが盛んにおこなわれ、それに付随して働く人たちも集まり、多くの多様な人々が出入りする土地だったのです。そのため様々な文化や血が入っていて美人が多く、網代美人と言われていたといいます。
【現代も交通の要衝!?】アクセス抜群な大いなる可能性がある土地
ーー網代美人!様々な文化や血が入りまじっていたのですね!網代地域は国道が目の前に走っていて今でも交通の要衝のように思いました。
間瀬 実はその通りなんですよ!伊豆半島は平地が多く海岸線を自転車で走るのに最適な場所で、国道135号線で東京方面からサイクリングで伊豆に向かう方達が多いです。その方達にとって網代は伊豆の玄関口として最初の休憩地点となっていて、『間瀬』には週末100名近くものサイクリング愛好者が休憩場所として寄ってくださいます。
ーーそうだったんですね!サイクリングの方にとっては網代は『サービスエリア』みたいな存在なんですね。
間瀬 いい表現ですね!そのような方達向けのお土産を開発するのも面白いかもしれませんね。それだけではなく、135号線は伊豆を行き来する車やバイクも多いですし、電車でも都内からのアクセスも良いので、網代を拠点に伊豆や東京、大阪方面にも出やすいので、昔のような要衝としての機能を果たせる大いなる可能性がある土地だと思います。
ーーたくさんの網代の魅力が聞けました!本日はインタビューありがとうございました。
間瀬 ありがとうございました。
【店舗情報】
【菓子舗 間瀬 本店】
住所:〒413-0103 静岡県熱海市網代400-1
電話番号:0557-67-0111
営業時間:8:00~17:00 定休日:木曜日
アクセス:
(鉄道)JR伊東線網代駅から網代港方面に徒歩15分。
(自動車)熱海方面よりR135を干物街道の先で左折、旧道沿い、旧網代小学校近く。
【菓子舗 間瀬 網代駅前店】
住所:〒413-0102 静岡県熱海市下多賀170
電話番号:0557-68-2261
営業時間:9:00~17:30
定休日:木曜日
アクセス:JR伊東線 網代駅から駅前通りを徒歩1分
【菓子舗 間瀬 熱海咲見町店】
住所:〒413-0019 静岡県熱海市咲見町4-29
電話番号:0557-81-6660
営業時間:9:30~18:00
定休日:木曜日
アクセス:
(鉄道)JR 東海道新幹線・東海道本線・伊東線 熱海駅から徒歩10分。
(駐車場)AIパーキングに駐車場(No.301~303)があります。当店でお買い物されるお客様のみご利用いただけます。
【菓子舗 間瀬 熱海ラスカ店(1F売店)】
住所〒413-0011 静岡県熱海市田原本町11-1 熱海ラスカ1F
電話番号:0557-81-1717
営業時間:9:00~19:00
定休日:なし
アクセス:JR熱海駅に併設しているラスカ1F。
【季節商品情報】
『菓子舗 間瀬』では季節商品を発売しています!
2024年1月の季節商品は『いちご大福』!
こだわりの餡とフレッシュないちごを大福生地に包まれている商品です。
ぜひ『菓子舗 間瀬』へ訪れた際はご賞味下さい!
【次回予告】From みう
次回は…
2019年に都内から網代に移住され、
一般社団法人あじろ家守舎・NPO法人atamisutaの理事、NPO法人熱海キコリーズのメンバーでもある板橋 真さんにインタビューをさせて頂きました!
登山や森が大好きで網代への移住を決めた板橋さん。
家守舎やキコリーズでの活動はもちろん、
網代への移住による生活の変化や、暮らしとしての網代の魅力…
さらには網代での子育てについてもお伺いしました。
網代でこそ味わえる生活とは…?
次回もお楽しみに!
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