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モントリオールで考えたこと

2023/04/01

 先週、息子の住んでいるモントリオールに行って来ました。



 モントリオールの名物といえば、プーティンというフライドポテトにグレイビーとチーズをかけたジャンクフードだそうです。なるほど多くの店のメニューに見かけましたが、息子がプーティン専門店に連れて行ってくれました。


 トロトロに溶けたcheese curd(フレッシュチーズのかけら)と甘めのグレイビーが美味しくて、味は間違いないのですが、食べても食べても減らない感じがアラフィフにはちょっと厳しく、胃袋の衰えを思い知らされる一品でした。




 かつてフランスの植民地だったモントリオールは、今でも母語がフランス語の人が多く、地名の多くがフランス語です。そんな土地柄、美味しいベーカリーカフェが多く、どこで食べてもクロワッサンはあまりハズレがなかったように思います。



 写真は、オールドモントリオールのOlive et Goirmandoというカフェで食べたフレンチトースト。



 

 卵液をパンにたっぷり染み込ませた一般的なブレッドプディング風のフレンチトーストとは違い、卵液にさっと潜らせる程度で焼いてありました。ブリオッシュ生地のパン自体の風味を損なわず、オレンジ味のクレームアングレーズやカランツ、ナッツ、グラノラなど山盛りのトッピングが歯応えや味に奥深さを与えていて、今まで食べたフレンチトーストとはちょっと別格でした。上にのってるクリームは、メニューにはWhipped Labneh(カスピ海ヨーグルト)とありましたが、マスカルポーネほど重くなく、ヨーグルトほど酸味がなく、爽やかで絶品でした。



 街を散策中、あまりの寒さに、暖を取ろうとあまり期待せずに、McCord Stewart Museumというこじんまりとした歴史博物館に立ち寄りました。

マッコードスチュアート博物館

 
 私が訪れたこの時期は、1階がカナダの先住民に関する展示、2階がアレクサンダー・ヘンダーソンという19世紀のスコットランド人写真家の展示、3階はモントリオールの中国人移民に関する展示となってました。

 

 イヌイット族はじめケベックの先住民が厳しい自然と対峙する中で培った知恵と芸術性が随所に反映されている生活用品や装飾品に魅了されると同時に、この豊かな文化がヨーロッパの殖民地政策に抑圧され損なわれてきたことに、ひどく胸が塞ぎました。家族から引き離され、髪を剃られ、洋服を着せられ、母語を禁止され、寄宿舎に入れられた子どもたちの写真が脳裏を離れません。現在も、先住民にルーツを持つ若者の自殺率は高いということです。

 

 植民地時代の西洋人の傲慢さと身勝手さにやりきれない怒りを覚えつつ2階に上がると、そこには前述のスコットランド人写真家の目を通した19世紀ケベックの世界が広がってました。その作品からは、ドボルザークの交響曲『新世界』にも通じるような大自然への純粋な好奇心と興奮と感嘆が感じられ、私はなんとも複雑な思いに囚われました。



 写真家、ヘンダーソンはスコットランドの裕福な資産家の家庭に生まれ、19世紀半ば、モントリオールに入植します。道楽として興じていた写真の技術とその視点が買われ、写真家として名を馳せることになります。



 そう。彼は植民者なのです。1階で私が嫌悪感を感じた植民者の一人です。しかし、2階で私が見たのは、たまたま裕福な貴族に生まれ、瑞々しい好奇心と野心でもってカナダの自然を撮りまくった一人の若者の世界なのでした。個人としてはいたってイノセントで、カナダの自然に対する純粋な好奇心しかなく、自分が後に、「先住民のコミュニティを侵害した植民者」という括りの中に置かれるだろうことなど少しも思ってないのです。



 歴史の大きな流れの中で、数世紀後に教科書の数行の記述の中で自分が加害者側になることは避けられるのだろうか?



 そんなモヤモヤした疑問を抱えたまま帰路につきました。帰りの機内で、『12 Years a Slave(それでも夜は明ける)』という映画を観ました。19世紀半ば、誘拐されて南部に売り飛ばされた北部の自由黒人が奴隷生活を余儀なくされ、12年後に解放されて家に帰るまでの手記を基にした映画です。



 奴隷制がテーマの映画に凄惨なシーンがあるのは言うまでもありませんが、気になったことがありました。それは、主人公を最初に買った白人農場主は、奴隷に暴力をふるわない比較的温厚な人物として描かれていたからです。奴隷を何人も「所有」しながらも、日曜日には聖書の話を聞かせたり、バイオリンをあげたりするのです。



 あのミュージアムで感じたのと同じ疑問が頭をもたげました。たまたま19世紀に南部のブルジョア家庭に生まれ、時代に身を任せるように、当然のように奴隷を所有してた。鞭を打つことはしなかったとはいえ、人間を売買したり身分の低いものとして労働をさせたりしてた。アメリカ南部の恥ずべき黒歴史を作った一人なのです。



 当時、南部で奴隷制に疑問を抱き、奴隷を解放して反対運動を起こした白人農場主は、Cassius Marcellus Clayという人ただ一人でした。実際に声を上げる勇気はなくても、「人を人として敬わないのはおかしくないか?」と感じていた白人は他にもいたはずだと信じます。同じように、アメリカ大陸に来て、先住民に西洋化を強要することに疑問を感じていたヨーロッパ人もいたのではないでしょうか?歴史を紐解けば、ユダヤ人をかくまったドイツ人もいたし、太平洋戦争に反対だった日本人もいたのですから。



 私は大きな流れに流されたくない、と思いました。不愉快なことは、「これっておかしくない?」と声に出して言える人になりたい。私一人の声に大きな流れを変える力はないけれども、子供や孫や家族、友達に、「そういえば彼女はこう言ってた」と覚えていてもらえるだけでも、私にとっては意義がある、と思ったのでした。



 個人的に悪意がなくても、大きな勢力の一部となり破壊力の追い風になってしまうこの気持ち悪さ。そういうものを感じさせられるのは、ミュージアムという教材の力だなとも思いました。



 じっくり時間をかけて見たいと思い、コーヒーブレイクを挟みました。お菓子は、マルシェで買ったメープルシロップを飴状に煮詰めてコーンに詰めたものです。

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