その外見コンプレックス、ちょっと待った!
50代も早半ばですが、髪を染めたことがありません。白髪は人並みにありますが、根本からぶちぶちとハサミで切っています。サイドや後頭部は合わせ鏡で作業するので、ハサミのコントロールが上手くいかずバッサリ束で切ってしまい、美容師さんからたまに、「ここヒヨコみたいになっているけど、どうされましたか?!」と驚かれます。
そんな雑なことをしても大丈夫なわけは、私の地毛が茶色くて、癖っ毛だからです。白髪が目立ちにくいのと、生え際が癖で不規則に立ち上がっているので、ヒヨコみたいに雑に切ったところも隠れるからです。
二十代半ばまで、私は自分の地毛が大嫌いでした。私が大学を出るぐらいまで、初対面の人からはほぼ例外なく、「髪の毛茶色いね。染めてるの?」と聞かれたものです。若い方はご存知ないでしょうし、若くない方も、ご自身が茶毛でなければ覚えていないと思うのですが、90年代半ばまで、髪の毛を茶色く染めるのは不良か水商売従事者だけだったのです。すなわち、「髪の毛染めてるの?」という質問は「不良なの?」と同義語だったのです。不良どころか、私は真面目だけが取り柄みたいな子供であったので、この質問は屈辱でしかなかったのです。
茶毛と癖っ毛は、ビジュアル的なコンプレックスでもありました。集合写真などで、自分の顔周りがなんだか「うすらぼんやり」しているのです。これが、髪の毛のせいだということに気づいたのは、わりと最近のことです。若い頃の写真を俯瞰で見られるようになって初めて、「ああ、オーラが薄いのは髪の毛の色と癖で、輪郭がぼやけていたからか」と悟ったのです。目鼻立ちがはっきりしていたら、また話も別なのでしょうが、髪の色だけでなく目鼻立ちも薄いのです。今のようにアイラインだのマスカラだのあまりない時代だったので、尚更です。
90年代半ばになり、普通の人が髪の毛を明るい色に染めるようになって、私はこのコンプレックスから解放されたのです。私の茶毛など、世間の茶毛に比べたらむしろ黒く見えるぐらいになりました。もう誰も私を見て、「髪の毛染めてるの?」とは聞かなくなりました。私には、それが紛れもなく92〜93年に起きた社会変化であるという確信があるのです。なぜかというと、その年、私は国外にいて、一年ぶりに日本に帰ったら、日本人の頭が茶色くなっていて、サッカー好きになっていたのです。Jリーグ誕生と関係あるのかどうか分かりませんが、髪の毛を茶色く染めた日本人がやたらとハグするようになっていて、私は浦島太郎ばりに驚いたのです。
髪の毛が茶色いことを人から指摘されることに屈辱を味わっていたあの頃、まさか日本人のほとんどが髪の毛を茶色く染める時代が来るなんて思いもよらなかったし、ましてや、自分が白髪の年頃になったら、茶気が身を助くであろうことなど、考えもしなかったのです。
美の基準は時代で変わるし、10年後、20年後のトレンドは本当に予測できないので、今コンプレックスだと思っても、将来「私ラッキー!」と思ってるかもしれないよ、と言うお話でした。