捻くれ者がご挨拶をば。

この記事を開いてくれたすべての皆さん、どうも。

BOY MEETS HARU
登場人物No.5 白菫色(シロスミレイロ)のハル
仲春アジと申します。

普段はBOY MEETS HARUのライブをはじめとしたイベント出演

【BOY MEETS HARU】
Twitter▶︎ @boymeetsharu


今月からお仕事させていただいているスポーツがコンセプトのカフェ&バーでのお給仕

(チアガールの制服を着てお給仕しています。)
【アキバスタジアムCheer Cheer】
Twitter▶︎ @cheercheer_akst

アプリでの配信などで活動をしております。


好きなものは主に
映画(をはじめとした映像作品)、お笑い、お芝居、音楽、本、ウイスキー、VAPEです。

得意なのかどうかは定かではないですが、好きなもの、苦手なもの、気になること、身の周りのこと、もしくはそうでないことも、とにかく文字に書き起こして伝えることが好きです。

というかそもそもは多分逆です。今書いてて思いました。
自分の見たこと聞いたこと感じたことを人に伝えるときに、うまく伝わらないことが嫌いです。
勿論時と場合によりますが「語彙力がない」という言葉に甘えて自分の感じたことを安っぽい表現でまとめることに不安を感じます。
流行り言葉を使うこともありますが、常に己を客観的に見ながら使っているような気がします。

ゆえにどうしても言葉数が多くなりがちです。本当はもっと断捨離してスッキリと伝えることができたらなとも思うのですが、「己が何故そう思うに至ったか」までも伝えきらないと気が済まないことがあります。しつけえよ!くらいに伝えたいのです。(ご存知の方は「あー」となると思いますが、マキシマム ザ ホルモンのマキシマムザ亮君の曲解説と同じような動機です。)

結果まわりくどい表現になっていたりもするのですが、それが好きってことなのでしょう(笑)

好きが高じて、ハルとして初めて迎えた今年の夏に"仲春アジの夏日記"と題して、フォトに日記とメッセージを書き込んで贈るというデジタルコンテンツを夏の2ヶ月間毎日発信しました。
本当にありがたいことに、2ヶ月間1日も欠かさず日記を書かせていただきました。
Twitterに共有している写真を保存すれば画像は手に入る状態だったにも関わらず、日記として画像をお迎えしてくれた方がたくさん。それはきっと、わたしの書く日記やメッセージを読みたいと思ってお迎えしてくれたのでしょう。
本当に嬉しかったのです。あの2ヶ月間は今の自分の自信にもなっているし、思っていることを文字に起こすことで毎日がこんなにも意味があるものになってゆくんだと実感しました。

先日何気なく観返していた「人志松本のすべらない話」で、ゲスト出演していた古舘伊知郎さんが言っていた「筆まめ」という言葉をそのとき初めて知り、自分もそうでありたいと思うようになりました。
このnoteは絶好の機会です。仲春アジ、筆まめになります。

(Instagramのアイコン。Mr.ChildrenのNoNameのジャケ写にそっくりだと言われてあとから気がつきました。
着ているのはつげ義春の名作漫画「ねじ式」Tシャツです。「千と千尋の神隠し」冒頭シーンの街のモデルになったそうな。確かにそっくりですね。)


本当はね、この記事を読んでくれた1人1人に熱烈にお礼を言いたいところですが、以上の文をもちまして皆さんへの挨拶と代えさせていただきます。
これからどうぞひとつよしなに。


さて、


今回の記事はなぜ仲春アジという人間がこんなにも理屈っぽい言葉数の多い人間になったのかについて、思い出せる限り書いてみようと思います。

仲春は幼少期から絵本が大好きでした。気に入った絵本は文章、台詞を一言一句たがわず丸暗記し、家族と行った温泉でひたすらに親と祖母の前で絵本を諳んじて褒められたのをいまだに覚えています。

(これは幼すぎるけどこの時から頭の中はファンタジー。熱い口付けを交わしているこのシロクマのぬいぐるみは、くっくと名付けて生まれたときからずっと一緒にいます。今もnoteを編集しているわたしをじっと見つめています。)

興味を持ったことは暗記するまで読んだり見たりしないと気が済まない凝り性オタク気質はこの頃からずっとです。
誰かになりきることも好きで、幼稚園では企画、脚本、演出を手がけ(大袈裟)先生や他の友達をお客さんとして呼び、創作ミュージカルを発表していました。

…今やってることとさほど変わらないですね。人前で何かすることがずーっと好きなんです。
表現すること、伝えることへの情熱は冷めることなく、夢見る女の子は夢見がちなまますくすくと育ちました。ユメミガチガール。

小学校低学年になったわたしは、ロアルド・ダールという小説家の作品と出逢います。
有名な作品だと、映画「チャーリーとチョコレート工場」の原作になった「チョコレート工場の秘密」「ガラスの大エレベーター」などがありますね。
ロアルド・ダールの胸踊る話の数々と、児童文学とは思えない狂気に満ちたブラックユーモアのギャップにすっかり惚れてしまったわたしは、彼の作品をひたすら読み漁りました。
(彼の作品の影響でこの頃からわたしのボキャブラリーには偏りがあったんじゃないかと思います。)

その後金子みすゞの詩集に出逢い、苦しくて優しい、日陰にも暖かさを感じるような彼女の詩の世界に夢中になります。
当時は本気で「わたしは将来金子みすゞのような詩人になる」と思っていました。
そんなわけで金子みすゞの影響を受けまくっていたわたしは、学校のプールで見つけたヤゴを育ててトンボになるまでを観察し記録するという授業で書いた作文を、観察日記にも関わらず情緒たっぷりのテイストで作成しました。
すると校長先生が廊下に張り出されているわたしのその作文に感動したと、全児童に配る学校だよりにわたしの作文をベタ褒めのコメントと共に掲載してくれました。
本当に嬉しくて、興奮のあまり隣の席の男の子の肩を鷲掴みにしてガタガタ揺らしていたのを覚えています。
(この時から感情表現がちょっと人とズレています。)

読書に没頭し学校でもひたすら本を読みまくる学校生活を送っていたら、高学年のときHR中に当時の担任の先生からいまだに忘れられないひとことをクラスメイト全員の前で言われます。


「お前は本の虫か。
本しか友達がいないのか。」


わたしの通っていた小学校はたとえ15分休みであろうが有無を言わさず児童を外に追い出して無理やりにでも遊ばせるという学校だったため、言うことを聞かずに図書室に逃げ読書ばかりしているわたしにイライラしていたのでしょう。
決して褒めているニュアンスではありませんでした。

今思えば友達と関わらず1人で過ごしていたわたしを心配しての発言だったのかなとも思います。(言い方ってもんがありますが)でもこの時クラスメイトの一部からいじめられていたのでそもそも関わりたくなかったんです。
クラスメイト全員の前で言う必要はあったのか。なぜ見せしめのように怒られなくてはいけなかったのか。 
それによりクラスメイトとの距離がより離れていくとは考えられなかったのだろうか。

驚きと恥ずかしさと悲しさと悔しさ、いろんな感情が混ざり深く傷つきました。
いじめられているのに気づいてくれないことにも傷つき、腹が立ったのを覚えています。

怒られるのが恥ずかしいし面倒なので渋々クラスメイトと遊ぶようにはなりましたが、(それでまたいじめられたりしましたが)それでも読書は辞めませんでした。

でも思い返すとロアルド・ダールの熱が冷めたあともエクソシストの原作を読んだりしていたわたしは、大人たちの思い通りにならないことをステータスだと思っているような相当捻くれた可愛げのないガキだったと思います(笑)


こうして1人の捻くれ偏屈へそ曲がり人間が出来上がったわけです。
他にも覚えてることはたくさんありますが、今回はこの辺で。


でもおかげで言葉をいくつも覚えられたし、今ではわたしの作る文を好きなってくれた人がたくさんいます。皆さんがわたしを見つけてくれたことが自慢です。
極端ですが当時本しか友達がいなくてよかったなと思います。

本しか友達がいなくてさ!!!
(当時の担任の先生の方を一気に振り向き思いっきり睨みつけながら)




スッキリ。



今回の記事は以上になります。
楽しんでいただけたでしょうか…?
こんな感じで毎週更新していこうと思います。

この記事は皆さんへのご挨拶の回だったのですべて敬体で書きましたが、次回の記事からは夏日記同様常体で書こうと思っています。

このnoteを機に、たくさんの方に仲春アジを知ってもらいたいと思っています。
よかったら引用ツイートなどで感想を聞かせてください。
#仲春アジ  など付けていただけると喜んじゃう。


拙い文章ですが、さいごまで読んでくださりありがとうございます。

また来週の水曜日、元気にお目にかかりましょう。
(探偵!ナイトスクープ風)

かしこ。

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