韓国発グローバル韓国語テキストの正しい使い方
グローバルテキストの登場
韓国語教育のためのテキストにおける昨今の新しい動きといえば、韓国発のグローバル韓国語教育が登場したことです。
韓国発のグローバル韓国語教育とは、韓国の教育部などが旗振りをしている「グローバルな韓国語教育のプラットフォーム」を利用した教育のこと。各大学の語学堂が作成するテキストがそれにあたり、教育基準は教育部所属機関などが示し、検定試験TOPIKによってオーソライズしています。韓国で制作されたテキストを使って勉強し、韓国が制作した語学検定試験を受験してね、という流れを作ろうということです。「Learn! KOREAN with BTS」といったコンテンツも、グローバルテキストです。
本国である韓国が制作したものですから、日本の韓国語教育界でも、最もオーソライズされた教育方法の一つとして受け止められています。
ちなみに我が校でも、10年以上も前から韓国の大学付属の語学堂で使用されているテキストを使用しています。半年留学に出発する直前に学ぶテキストとして、採用したものでした。語学堂の先生に客員教授として来ていただいていたのもあって、現地で実際に使用しているテキストを採用したという経緯もありました。
グローバルテキストの実態
しかし実際、大学教育にグローバルテキストを取り入れてみた結果、オーソライズされたモノだからという理由で無批判に受け入れて良かったのかと、疑問がわいてきています。
真っ先に引っかかるのは、文法説明のまどろっこしさです。韓国の語学堂のテキストは、日本以外の出身者、特に英語圏の学生を念頭に置いて作られているので、助詞の説明から難解になります。でも、日本人に対してなら、「を」は「을/를」の一言で済む話です。活用や発音法則も、グローバルテキストではあまり強調されません。日本のテキストと比較すると、内容が少なすぎて心配になるくらいです。
文化やことばの遠近が異なる諸外国に対して、唯一のテキストを示そうとする試み自体はチャレンジングで素晴らしいと思いますが、文法が近い日本語母話者の学習者に対してはどうもあまりメリットがなさそうなのです。
日本は、KPOPの世界的大流行時代以前から、文法を中心とした韓国語教育テキストの開発が進んでいました。欧米人に比べて、日韓は類似点が多いので、その微妙な違いを踏まえた、日本独自の教育テキストがすでに制作されていたのです。欧米人をも想定したグローバルテキストより、日本人に特化したテキストのほうが、日本人にとっては取り組みやすいに決まっています。
つまり、学習者にとって取り組みやすいテキストとは、グローバライズされたテキストよりもローカライズされたテキストなのです。日本においては、グローバルテキストはより「発展したテキスト」というより、言い方がきついかもしれませんが、「より後退したテキスト」となってしまっている一面があるのです。(あくまでも一面ですよ・・・)
そうであるにもかかわらず、現状では、日本でも多くの人が、グローバルテキストを無批判的にありがたがっているように見えます。今の韓国教育部や大学の語学堂が推している「韓国語教育のグローバルの理想的なかたち」に対して、受容側は一歩引いて冷静に考えてみる必要があるのです。
韓国語習得はグローバルテキストのおかげか
語学堂のテキストを採用したがるのは、韓国の語学堂で学んできた留学生が韓国語ができるようになるからでしょう。でも、それはテキストのおかげなのでしょうか。日本の教育現場や市民講座で語学堂のテキストを採用するのは、テキストのおかげだと思っているからとしか思えませんが。
テキストのおかげではないことを、申し訳ないですが、明言せざるを得ません。
語学堂のテキストは、あくまで留学生が韓国で使用するためのものです。語学堂の授業は、ネイティブの先生が直説法で行います。すべての授業が韓国語で行われ、日本人以外の学生とは、韓国語で会話をするしかありません。韓国語の実践が授業内で行われているということがポイントです。正直テキストの内容などどうでもいいのです。(それでも各大学特徴もあり、よりよいテキストは存在します)
さらに、語学堂の授業は平日13時頃には終了。それ以降は自由時間です。自由時間にも、会話の中でヒアリングやスピーキングを実践でき、文化に触れられます。韓国での生活そのものがまるごと実践時間です。韓国語ができるようになるのは、語学堂という教室での学びと語学堂外の体験、つまり授業と実践がセットになっているからなのです。
しかし、語学堂テキストだけを日本に移植したらどうなるでしょうか。単なるグローバル視点のテキストだというだけで、留学で得られる実践もなく、ローカライズされた日本のテキストには備わっている丁寧さや密度の濃さもありません。
さらに、留学して韓国語だけを学ぶ時の授業時間と比べたら、日本での授業時間のほうが断然短いです。語学堂のテキストが想定している時間数より短い時間で同じテキストを用いようと思ったら、本来の使い方ではなく、無理をして内容を詰め込む使い方になります。そこまでして語学堂のテキストを使用するメリットはあるのでしょうか。
文化面の教育でも、韓国発のグローバルテキストは未成熟だと感じます。日本の日本語教育では、日本事情を学ぶテキストが制作されています。しかし、韓国の語学堂には韓国事情を扱う専用のテキストが存在しません。語学テキストに掲載された文化事情も、残念ながらおそまつといわざるを得ません。文化面の教育は、語学堂外での体験に頼っているのです。日本や世界でグローバル韓国語教育を行う世宗語学堂でも、韓国の伝統的な冠婚葬祭などを扱っても学習者が興味を持ってくれないといって困っているという話を聞いたことがあります。韓国文化をどう扱うべきか、どう教えるべきなのか、その解法を模索している最中だというのが現状なのです。
日本の学習者にとってのグローバルテキストのメリット
グローバルテキストにもメリットがあります。
一つ目は、密度の薄さ、いうならば内容の雑さです。
それってデメリットじゃないの? と思いましたか?
いえ、これはメリットです。というのも、日本のローカライズされたテキスト、韓国語教育に限らず、日本の教育現場で使われるあらゆるテキストは、非常に密度が高く、丁寧に作られています。それゆえに、学習者が主体的に考える隙のないテキストになってしまっているのです。日本のテキストは学習者が疑問に抱きそうなことを先回りして解説してしまうために、学習者の学びに対する能動的な態度を奪うという側面があるのです。丁寧な教えが学習者の主体性を奪うという、まさに逆説的な話です。懇切丁寧なマニュアル本が、考えない人間を作り出すということですね。教育の究極の形は「敢えて教えない」ですから。
一方で、多少雑な作りのグローバルテキストなら、学習者の主体性が生かされます。非常に逆説的な話で恐縮ですが、日本の学習者にとっては、あまり作り込まれていないテキストであることが、グローバルテキストのメリットといえるでしょう。ぎっしり内容が詰まっているテキストは購買意欲を掻き立てますが、買った後はその本がどんな扱いになっているかは愚問ですよね。扱いきれずに埃をかぶっています。笑
二つ目のメリットは、学習内容に変化を与えてくれたという点です。
グローバルテキストを見てすぐに気付くのは、文法事項の少なさです。日本のテキストでは、活用学習で変則活用までしっかりと教え定着させるべく練習させます。でも、グローバルテキストでは活用の全体図を示すこともないし、変則活用も細かく扱いません。文法はざっくりと扱うだけなのです。それでいいってことです。
代わりにグローバルテキストが力を入れているのはコミュニケーションです。ただしコミュニケーション力は、現地にいて実践が伴ってこそ習得できるもの。テキストだけあっても習得できるわけではありません。もしグローバルテキストを使って学びたいなら、練習相手、実践相手を確保する必要があります。紙と鉛筆を持ち、机に向かって独学したいスタイルの学習者には向いていないでしょう。
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