2022年真夏の大冒険㉙ 最終回 Like a Rolling Stone
ついにこの日がやってきた。札幌最終日、そして冒険の終わり。
7月12日に近所のバス停からスタートした冒険が今日8月5日、25日目で終わる。
一生諸国漫遊していられたらどれほど楽しいかと思うけど、そうはいかないのが現実だ。でも、いざゴールラインを越えるのかと思うと寂しいことこの上なし。
今日までは職業欄に「旅人」と記入したとしてもあながち間違いではないけれど、明日からはただの「無職老人」だ。
昨夜遅い時間に「いま札幌に来てるよ」のメールを出していたもう一人の友人から連絡があった。「ごめん、メール見落としてた。明日は何時の便?」新千歳の出発時間から逆算すると琴似にいられるのは11時くらいがタイムリミット。10時イオン前集合ということになった。
彼女も一昨日運転してもらった彼も、今や死語の「メル友」から始まった繋がりだ。SNSやLINEなんてもちろん無かったし、アナログ56kの細い回線スピードの頃でテレホーダイが始まる時間を待っていた時代からの友人だ。
出会いから30年近く経っているのに繋がっているのは不思議なくらい。今では名前も住所も知っているけど、相変わらず当時のハンドルネームで呼び合ってるのが、公の場では恥ずかしい時もあるけど、心を許せるいい友人たちだ。
10時5分前にチェックアウトを済ませ10時にイオン前へ。彼女もチャリを飛ばして到着。駅前のミスド。お互い風貌はかなり歳を重ねてきてるけど気分的には何も変わってないので「変わんないねー」から会話が始まり、あっという間にタイムリミット時間。またの再会を約束して私は地下鉄へ。
それからはJRに乗り継ぎ、新千歳でPeachに乗って1時間のフライトで仙台空港。空港からアクセス線とJR普通列車を乗り継いで福島駅。家までの最後のバスに揺られている時に急に寂しさが押し寄せてきた。
今日までの1ヶ月と明日からのギャップは大きすぎる。
まあ、大きなトラブルもケガも体調不良もなく過ごした1ヶ月だった。
加齢で止めることを決心したダイビングだって6日間17本を普通にこなせたし「まだまだ、大丈夫じゃね?」と思ったけど、診断書を取ったりする煩わしさを考えるとやっぱり辞めることになるんだろうな。
そして最寄りのバス停で降りて心のなかでは盛大なエンディングを迎えたわけだが、そう安々とは終われなかった。
翌日ポストに溜まってた郵便物を整理し、回覧板を近所の家まで持っていくと...「あらー、生きてたんだ。良かった良かった」
「ん?」
車は駐車場にずっと停まったまま。
家を訪ねても鍵がかかってて家にいる気配もない。
携帯に電話しても応答もない。(そりゃあそのはず、スマホを忘れたところから旅が始まったわけだし。スマホはきちんとテーブルの上で主の帰りを待っていた。バッテリーは切れてたけど。)
もしかして自然死?
近所では、ただ事ではないかもと騒ぎになっていたそうだ。
挙句の果てには警官まで登場してもらって、裏木戸をこじ開けて風呂の窓から中に侵入してもらったそうだ。
警官は「やっぱり不在ですね。スマホはテーブルの上にリモコンと一緒に並べてありました。」と言って帰ったそうだ。
「警察には連絡したほうがいいよ。」のアドバイスに従って「カクカクシカジカなものでして、お騒がせしました。」と謝りの電話を入れた。
他人であっても親身に心配してくれる田舎の付き合いが良いのか悪いのかはよくわからんけど、これでやっと一件落着、旅が終わったわけだ。
それでも1週間後にはキャンプ生活を再開して山の中で一人ジンギスカンをやっていた。自宅にいると尻の落ち着きが悪いのだ。
最も敬愛するBob Dylan先生の最も好きな歌”Like a Rolling Stone”は50年間ずっと心の中に流れていて、人生の局面ではなんども"Hoe dose it feel?”と自問を投げかけてくれて「俺、今どんな気持ちなんだろう?」と考えることを促した。そして「停まっちゃいけない、まず動かなきゃ」と動き出す。この繰り返しだった。
「転がる石に苔は生えない」と言うけれど、まさにその通り。苔むした枯れた老人はまっぴらだ、これからも転がり続けます。
でも石は上には転がらない。流れに逆らわず決して留まらぬ生活をしていきたいものです。
長らくお付き合いありがとうございました。
これで本当のThe End.です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?