不良妊婦の初産

誰のためというわけでもないが、初めてのお産は想定外のことだらけだったので、自分の備忘のために起きたこと、感じたことを残そうと思う。

「不良妊婦」と言って差し支えない私は、産婦人科にあまりきつく言われないのをいいことに、お酒以外のあらゆるいわゆる妊婦が食べるのを控えるようなものも普通に食べていた。
また、仕事も遅くまでこなし、産休入り直前も深夜残業、休日残業も行う元気さ。
旅行や出張も平気で行き、つわりの時期こそちょっと吐くことはあったけれど、吐いた後はお腹が空いてまた食べる…という感じ。
友達の結婚ラッシュで結婚式も妊娠中あらゆる場所まで赴き7回出席した。
持ち前の元気さとある程度の若さが資本で、自他共に認める妊婦とは思えないパワフルさだった。

出産予定日は5/30。
予定日の1ヶ月ちょっと前に実家に帰ると、専業主婦の母が家事は全てやってくれる。
これまでと異なり、あまりに脳も使わず、体も動かさないので、全然疲れず、夜眠れない。
目的のない散歩や一人行動は苦手なので、毎日無理やり小さな用事を作って出かけるよう心がけた。
それでも暇で暇で仕方がなくて、赤ちゃん早く生まれてきてほしいなという気持ちと、でも生まれたら自分の時間がなくなるという不安を常にどちらも抱えていた。

そんな中、ある日実家にいる弟が咳き込んでいるのが気になった。確か5/11ごろ。
花粉症で蕁麻疹やらなんやら抱えているのは知っていたけれど、咳は風邪じゃない…?と思っていると、翌日自分や母も咳き込むように。
妊婦に風邪うつすなよ〜と心の中で思った。

5/12。
夫は一緒に里帰りしていないが、この日は夫が近隣まで出張の予定があったため、出張期間を伸ばして、私に会いに来ていた。
大学時代の友人たちと飲み会に行き、子供が生まれたらもう今までのように集まれない、という気持ちから終電まで遊んでしまった。
ちょっと遅すぎるなあという反省はあり、母に翌朝チクッと言われる。
そして夜は、前駆陣痛なのか、赤ちゃんが下の方に降りてきているために感じる骨盤の歪みのせいなのか、痛みであまり寝られなかった。

5/13。
友達とランチへ行き、その後夫と合流。
トイレに行った際に、おしるしらしきものがあり、驚く。
というのも、まだ予定日まで二週間以上あり、正期産の時期になったとはいえ、生まれるのはまだ先だろうと思っていたからだ。
加えて、翌日は親友の結婚式で、子供が生まれていなければ絶対に参加する!と息巻いていたのだ。
お腹の中の娘に、5/14までには生まれないでね、とことあるごとにお願いをしていた。笑
調べると、おしるしがあってからすぐ陣痛が来るとは限らないが、おしるしから平均3日くらいで生まれるとのこと。
式場で何かあっては申し訳ないので、悔しくも、親友には欠席の連絡を。
ギリギリでの変更となって大変申し訳なかった。

その後、一応実家に夫と二人で帰り、昼寝。
昼寝している途中もちょいちょい軽度の痛みを感じ、起きてしまう。
なんとなく周期を測ると12分ごとくらい。
陣痛かも?いや、陣痛にしては痛くなさすぎるだろう、と思い、特に夫には告げず、実家近くの居酒屋で最後の二人での外食かもね、なんて言いながらご飯を。
ご飯を食べている間、なんだかちょっと痛みを感じるタイミングがやっぱりあって、間隔は10分くらい。
夫になぜ言わないんだ、と怒られつつ、ご飯を切り上げ帰宅。これが20:00ごろ。

そのあと、ぼーっとテレビを見ながら陣痛が強くなるのを待つも、あまり強くならず、周期も結構バラバラ。
加えて、骨盤の歪みの痛みの方が強くて、体を動かすと、陣痛とは違った痛みが走り、何が陣痛なのかよくわからない。
一応産院に電話をかけたものの、強くなって五分間隔になったらまた電話してね、とのこと。
元々生理痛もあまりなく、痛み耐性の強い私は、陣痛の痛みにも鈍感なようで、家族も一旦寝るか、という話になった。
あ、これ陣痛だわ、ちょっとさすってもらったりしないときついわ、と思うようになったのは12時を回ったあたり。
5分おきの陣痛になったのは、12:15くらい。
12:30ごろに産院に電話すると、初産なので来てもまだ早いと追い返される可能性はあるよ、と言われたが、一応産院に行くことに。

5/14。
12:50ごろに産院に到着。
休日深夜という課金マックスのタイミングになってしまった…と思いつつ、さすがに痛くて、陣痛がきている間は動けない。
合間合間でインターフォンまで行き、一人で受付まで行く。
5類になったとはいえ、産院の方針で、分娩室付き添いは抗原検査をその場で受けて、陰性だった同伴者一名のみ、ということで夫は待合で待機。
分娩台に上がると、子宮口は5センチ程度開いていたようで、ギリギリ追い返されなかった。
その後、私の抗原検査を行ったり、夜間で人が少ない中、準備など助産師さんがしている間、私は一人で陣痛の波に耐えることに。
ちなみに無痛分娩希望だったのだが、休日や夜間は麻酔科医の先生は自宅待機であるため、呼ぶのに時間がかかるとか。
病院に行くと勢いがおさまってしまったり、ということもあると聞いたが、私の場合全然そんなことはなく、どんどんお産が進んで行く感じがあった。
そんな中、判明した私の抗原検査の結果: 陽性。
今までコロナにかかったことはなかった(少なくとも自覚症状なし)ため、え?という驚きと、弟の咳はコロナだったのか…という気づき。
そのため、一緒に来た母も夫も分娩室に入れず、帰宅ということになった。
そんなわけで一人でお産になったのだが、事前にちゃんと準備してきたテニスボールや飲み物を鞄から取り出すタイミングもなく、誰かと連絡することもできず、そしてコロナだからマスクを外すことさえ許されず、着々とお産が進んで行く。
母親学級などで聞いていたお産と全然違う。
いきみたい陣痛の痛みがあり、しかし子宮口大になるまでいきんではいけないはず…と思うものの、助産師さんが常にそばにいるわけでないので、自分の好き勝手に悲鳴を上げながらいきんでしまう。
それが良かったのか悪かったのかはよくわからないが、ちょっとして戻ってきた助産師さんに、麻酔科医の先生今呼んでますからねーと言われたかと思いきや、麻酔科医の先生が間に合わない、もう自然に産んでしまいましょう、とか言われる。
ただ、この時点で、絶対に麻酔をしてもらわないといけないほど痛くないな、と自分でも思っていた。
多少痛みはあるが、耐えられないほどではない。
また無痛分娩をやめると12万円ほどお金が浮く、というのも少し頭をよぎった。
このまま生みます、と息も絶え絶え伝え、そのあとは陣痛の波とかもよくわからないまま、自分の好きなタイミングで何回かいきみ、なんと2:01に子供を出産した。
病院に着いて1時間強。初産にして脅威のスピードだった。ちなみにこのスピード出産は母譲り。

ただ、お産が順調だったのもここまで。
思っていたより娘が小さかったのだ。
直近のエコーで2,600gと言われていた娘だが2,200g弱で低体重児だった。
原因は聞いていないが、どうやら私の胎盤は少し特殊で、真ん中で分かれて、栄養と酸素を別々に送っていたようで、それで満足な大きさにまだなっていなかったのかなと個人的には思っている。
また私がコロナに罹ったことで、早めに生まれたのかなあとも思った。

そしてなお残念なことに、娘を感染させないために、私は娘の顔をほとんど見られず、抱き上げることもできず、隔離に。
すぐに抱きしめてあげられないことに申し訳なさを感じて泣きたくなった。

飲み物も飲まず喉はからっから、携帯などを取ってもいいのか、家族に連絡していいのかよくわからず、空虚に分娩台で時間が過ぎるのを待つ。
出産から1時間後、ようやく看護師さんに家族に連絡をとっていいか確認し、夫と母、父に連絡。
出産自体はあっけなく終了した。

スピード出産で無痛分娩じゃなくなった話は、明るく友人たちに伝えつつ、低体重児、コロナの件は、心配されるといけないのであまり伝えないようにしている。
しかし、自分の記憶としては残しておきたいので、記録に残す。

今は早く娘に会いたい、と思いながら隔離個室で暇な日々を過ごしている。
母乳が出るようにマッサージすることくらいしかできない。
まだ母になったという実感はほぼなく、娘がいなくなったのにまだぽっこりしているお腹を少し不思議な気持ちで見ている。
早く母になりたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?