見出し画像

1月18日~24日極寒のアスタナ出張

赴任早々にアスタナ出張。今回のメインはビザ申請。公用旅券ビザ無し渡航が認められるのは1か月らしく、それ以上の滞在にはやはり現地でのビザ申請が必要。でなわけで、大使館があるアスタナへ。そして、同じタイミングでアスタナの教師研修も組まれているので、それにも参加。そして、私の派遣先であるKJC日本センターの分室がアスタナにあるので、そこも視察。そして、大使館の表敬訪問。さらにさらに、ちょうどこの時期に行われる大使公邸での新年賀詞交換会にも参加。+、今回大使が企画してくださった日本語教育関係者の懇親会も大使公邸において開かれる。これにも参加。と、なかなか盛りだくさんの1週間。ビザ申請もあるので、ゆっきょも一緒にアスタナへ乗り込んだ。

18日は昼過ぎまでセンターで仕事。2月13日~開講予定の新しいクラスのカリキュラム作成。このクラスはJF講座指定の『まるごと』と言う教科書がまだ開発されていないレベル。なので、クラスに合わせて新しい教科書選定。そして、そのままでは使えないのでアレンジしてカリキュラムを組まなければならない。私の出張中に現地の主任講師に見てもらっておけるように急ぎドラフト版作成。バタバタ仕上げて午後センターを出発。途中マンションに立ち寄ってゆっきょと荷物をピックアップ。バグランさんの町案内+カザフ語講座と共に空港到着。

初めてのアルマティ空港国内線。どこでチェックインするかもよく分からぬ…。迷いつつ辿りつき無事チェックイン。小さい待合室なので問題なかったんだけど、ギリギリで搭乗口変更。でも、なんとなくアスタナ到着。アスタナでは空港までタクシーを手配してもらっていた。そのタクシー運転手とも無事会え、ホテルに向かう…が、ここで運転手さん「ゴーラド、ブロッキ」と言いながら手で円を描くジェスチャー。「ゴーラド」は「町」「ブロッキ」は音から「封鎖?渋滞?」と推測。で、円を描くジェスチャーは回り道???で、どうしたらいいか分からなかったんだけど、とりあえずそんなに悪そうな人に見えなかったので、分かったと言ってしまった。これが間違いの素。推測前半はほぼ正解。しかし一番肝心の「悪い人じゃなさそう」と言う推測が大間違い!!!!後のトラブルの発端。

で、「アスタナの空港で町の中心から離れてるんだね~~」とのんきな事をゆっきょと話しながら45分ほどでホテル到着。すると「〒9700」と。私もゆっきょも「え?????????」となり、ここで初めて悪い運転手に当たったことに気が付く。どう考えても高い。で、私一人だったら時間も遅いし、周りも暗いし…で怖くて払って降りてしまったのかもしれないけど、ゆっきょが「おかしいからMさんに連絡してみた方が良いよ」と。で、電話して状況を伝えるとびっくりして運転手に電話を代わり話をしてくれた。タクシー予約段階では〒2700でお願いしていたらしい。タクシー本部とも連絡をとり、結局〒2700。この間約30分。(本当はもっと短い時間だったかも?)疲れ果てましたorz

ホテルにチェックインし、夕飯はホテルで済ませ、ホテル前の氷の滑り台とかをちょっと見てこの日は就寝。

翌日は早朝にOさんもホテル到着。10時にホテルを出発し学校訪問。アスタナのシュコーラ(学校)の一つで日本語の紹介。こちらの学校はシュコーラと呼ばれ1年から11年まで、つまり日本の小学校から高校まで一つの場所。その、多分10年生?が50人ほど集まってくれて、日本や日本語、KJCアスタナ分室の紹介をした。

午後はユーラシア大学に移動して、教師研修。今回は私は見学のみなので、Oさんのお手伝い。途中初の試み3地点を繋いでのオンライン教師会などもあり、予定終了。

夜はOさんが見つけてくれたお肉をガッツリ食べられそうなレストランでお食事。満腹満足でホテルへ戻る…と、出かける時にはなかった金属探知機などが設置され、何やら物々しい雰囲気。

しかしのんきな私たちは「なんだろうね~~」とさして気にもせず部屋に向かい、ぐっすりと眠りに落ちましたとさ。

翌日は午前中大使館へ行き、大使表敬訪問+私たちのビザ申請の状況確認とOさんのビザ更新の相談+3月に行われる弁論大会についての相談。大使はカザフでの日本語教育に熱心に支援下さり、アスタナでの日本語教育の充実を図るべく色々考えてくださっていた。感謝。私たちのビザは取りあえず、ここで大使館職員の方にパスポートを渡して、カザフ外務省へは代理申請で対応できるとの事。用事をバタバタ済ませ、また午後はユーラシア大学に移動。教師研修2日目。

この日は現地講師の方が家に招いてくださり手料理をご馳走になった。かわいい猫もいて、至福のひと時。

そして、翌土曜日。午前中はユーラシア大学での教師研修3日目。それを終えて大使公邸で行われる新年賀詞交換会に出席のため、大使公邸へ移動。

カザフスタンに住む日本人数十名が集まり、お餅つきからスタート!ゆっきょもせっかくなのでお餅をつかせてもらった。なんだかんだ言って、お餅をつく様は一番さまになってたかも???

こっちに来てまだ2週間ほどだけど、日本食が懐かしく感じられた。おいしいちらし寿司やお雑煮、お煮しめなどを頂く。大使はもちろん、大使夫人も日本語教育に深く興味を示して下さり、夫人としばし日本語教育についてお話ができた。その他にも、カザフ在住の日本人の方々とお話ができ、有意義な時間だった。

夜はどうしようか迷って、ロシア語もアスタナの地理も分からない二人で、ネットで探したグルジア料理のお店へ。これが大当たりで、分からないなりに注文したお料理すべて当たり!久しぶりに飲んだワインも大当たり!何よりお店の方の感じがよく、素敵なお夕食になった。このお店はまた来たいな~~❤

日曜日。今日はお仕事お休み!で、アスタナ観光に繰り出した!私は連日のキチキチスケジュールで予約のタクシーに乗って移動するばかりだったので、全く色々な場所の位置関係が把握できていなかった。でも、ゆっきょはその間色々一人で冒険!(大使公邸に行くため、ジャケットを調達するというミッションも無事クリア)バスを駆使してある程度市内の様子が分かるようになっていてくれた。おかげで見どころ観光地へバスで行ける…が、寒い!寒すぎる!!!!!!

寒さ対策に帽子が欲しい!とアジアセンター(だっけ??)へ。ここで色々帽子を物色。毛皮のすごい暖かそうなのは素敵だけど高くて却下。グレーの毛糸の帽子を購入。デザインも可愛くて、暖かい。そして、アスタナのシンボル的タワーのバイテレクへ。

アスタナは山に囲まれたアルマティと違って、真っ平な平原の中に作られた町。地平線も見えるらしい。何にも防ぐものがないせいで、常に風が強い。この日も気温は-13℃ながら、体感温度は-30℃。

本当は国立博物館にも行く予定だったんだけど、私の気力が萎えた…尽きた…。で、モールのようなところに一旦非難して、軽い昼食を取り、ホテルに戻ることにした。

ホテルに戻るバスの中から、風景だけ楽しむ。

モスクはインドネシアのイメージが強く、暑い記憶と一体になっていたんだけど、ここは雪の中のモスク。すごく不思議な感覚で、真っ白のモスクを見た。

疲れたし、食欲もあまりなかったので、夜は近くのスーパーで簡単なお惣菜を買ってきて、部屋で頂いた。ホテルの部屋にワインがあったので、それも頂く。部屋ごとにウェルカムワインが置いてあって、嬉しい。

週が明けて月曜日。この日は午前中は比較的ゆっくりして、午後KJCのアスタナ分室へ。この日は私たちのビザができてくる予定で、受け取りが本人でなければならない場合、ゆっきょも行かねばならない。いつ外務省から呼び出しがかかるか分からないので、ゆっきょも同行。

KJC分室はアスタナ市内からちょっと外れたところにあるKAZGUUと言う大学の中にある。そこまでタクシーで移動し、Mさんの到着を待ちミーティング。アスタナ分室の状況が少し分かった。ここにはまた月末に来ることになるけれど、早い段階で見学と内情把握ができて良かった。結局ビザは大使館職員の方が代理で取りに行ってくれることになった。

その夜は、またまた大使公邸で日本語教育関係者を集めての親睦会を開いてくださった。このあたりにも大使の並々ならぬ日本語教育への関心が感じられる。

そして!!!ここでついにビザを取得!大使館のTさんより受け取り、Mさんにも見せる。大使はじめ、ここまで苦労を共にしてきた方々(この表現、決して大げさではありません。私たち夫婦のビザ取得まで、思えば最初の不穏なメールが届いたのが昨年5月。途中色々なビザ取得に方向転換を考え、その度に書類等集めるのに走り回り、苦節9か月。やっと手にしたビザなんです!)の間から、自然と拍手が起こり、やっと一安心。後はOさんのビザ延長がうまく行けば、すべて万事丸く収まる!

そして、ここからの帰りのタクシーで、Oさんから恐ろしい話を聞くことに!!!!2日目の夜から突如現れた金属探知機。1月23日・24日に「シリア和平会議」がアスタナで開かれ、その為に入国した反体制派の人たちが同じホテルに泊まっていたのだ!!!!!それですべて納得がいく。あの金属探知機。各階に数人ずつ配置されたSPらしき人たち。毎朝いるので「あいさつくらいした方が良いよね」とあいさつしても無視されるわけだ!!!!!そして、その事実を知った晩、銃撃戦に巻き込まれる悪夢を見た(←単純(笑))

http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM23H9N_T20C17A1FF8000/

そんな夜も明け、翌24日火曜日。銃撃戦も起こらず無事チェックアウト。昼ごろの便で一路アルマティへ。空港にはセンターのドライバーのバグランさんが迎えに来てくれていた。アスタナではタクシーに初っ端からぼったくられそうになり、その後も何度もタクシー移動があり不安な気持ちでいつも乗っていたので、バグランさんの顔を見たらホッとして泣きそうになった。

長い長いアスタナ出張も無事終了!長文お付き合いくださってありがとうございます。次回からはもう少し短くなると思います。